2 呼出

 優華がレイプをされてから半月以上経った。その間、優華は普段通りに休む事なくちゃんと警察署に出勤はしていたが、外勤に出る事はなかった。

 それは優華が意識的に外に出ないでおこうとしたり、そうしてくれるように頼んだ訳でもない。


「高橋さんの事件で優華は事件を防げなかったとまだショックを受けています。ショックが癒えるまで優華をしばらく外勤から外して内勤に専念させてはどうでしょうか」

 真理子が上司にこう進言をし、認められたからだった。

 そんな真理子や上司の措置に優華は反発したり恐縮したりする事はなく、その措置を有難く思っていた。

(外に出ればあの人達にまた……でも、警察署の中にいればいくらなんでも……)


 警察署と言う砦に立て篭もっていらば顔を合わせる事もないし、手を出される事もない。
 優華は安心をして毎日を過ごしていた。

 そうして、殺人事件の捜査本部が出来て警察署内は騒々しい日々が続くが、優華の周りは平穏な時が流れていた。



 

「……最近あの婦警さん見ないよなあ……久保寺優華ちゃん、だったっけな」


 傾きかけた古いアパートの一室で松永がふと呟いた。


「そ、そう言えばそうなんだな……」

「またヤリてえ」


 そばにいる野村と吉田も続く。
 性欲が溜まっているぞという様子の3人が一斉に前田の方に視線を集中させる。
 すると前田は携帯電話を取り出し、それを松永に手渡した。


「メール見てみろよ」

 そして前田がそれだけ言うと松永はメールボックスを見てみた。
 そこには優華からのメールがほぼ毎日入っている。しかし、それは全て前田への返信メールであり、優華が自ら送った物はなかった。

 前田はその1つを開いてみた。


件名:Re
本文:> 今日、外に出るんだったら挨拶をしたいので会いましょう。 
    今日は内勤で外に出る予定はありません

「なんだよこれ……これも、これもか」


 素っ気無い内容に松永は次々とメールを開いてみたが全て同じ文章。前田は一つ溜息をついた。

 

「見ないはずだよ。勤務時間が終わるまでずーっと警察署の中にいるらしい」


 前田が軽く笑いながらそう言うと、携帯電話を受け取ってしまいこんだ。

「つまんねえの」


 吉田が不満げに言う。その言葉に松永はうんうんと頷いた。


「そうだよな。あんなかわいい婦警さん、こんな町に一人しかいねえもんなあ。しかも、破瓜したばっかでまだ締まりがいいからな……」

「ふ、婦警さんなら他にもいるんだな」

「え?」


 野村の言葉に他の三人が敏感に反応し、丸い粘土の塊を適当に付けて形を作ったような野村の顔を見た。


「他って……どんな?」

「こ、この前、駅前でふ、婦警さんがいたんだな……俺、思わず、声をかけたんだな」

「で? どうした?」


 前田が鋭い口調で訊くと野村はどことなく臆病そうな顔で前田を見て続けた。


「そしたらあの婦警さんと違う婦警さんで……俺、慌てて駅はどこか訊いてごまかしたんだな」

「……駅前でか?」


 思わず松永が訊くと野村はこくっと何の疑いもなく首を縦に振った。

 駅前で駅の在り処を訊く。野村らしい一本抜けた行動に松永は苦笑いを浮かべると、きらっと輝く爬虫類系の目を野村に向けた。


「で、その婦警は何歳ぐらいだった?」

「んー……あの婦警さんよりは多分年上だとは思うんだな。でも、そんなに歳は行ってなさそうに見えたんだな」

「顔は?」

「ちょっと真面目そうで、ヤリ甲斐のありそうな女だったな」


 野村の言葉に松永はうんうんと頷いた。


「前田さん、野村がそう言うんだからなかなかの女だろう。野村は割り算ができなくても女を見る眼は絶対だからな」

「わかってる」


 前田は腕組みをし、軽く考えるような素振りを見せていた。そしてうんと1つ頷くと携帯電話を再び取り出して、液晶画面を見つめた。


「じゃあ、今あの婦警さんがどんな状況か訊いてみよう……そしてついでにその事も訊いてみる……」


 そう言うと携帯電話を操作しながら前田はゆっくりと立ち上がり、他の3人を見た。


「あさってにはその結果を言う」

「え、ち、ちょっと待てよ……一人で会うのかよ」


 前田の一方的な話に松永が僅かに反発的な反応を見せた。しかし、前田はその機先を制するように口を開いた。


「この4人で行ったら怯えてしまうかもしれないからな。しかし安心しろ。俺は制服を着ない、ブーツを履かないあの女に何の興味もない。ちょいと話を訊くだけだ」




 しばらくして、昼下がりの警察署。


「……この湯呑みは課長のだっけな……」


 警察署の給湯室に優華の姿があった。
 彼女は内勤の仕事の中で特に重要な任務、お茶くみに取り組んでいた。 


(私の淹れるお茶は先輩の淹れるのより美味しいって言ってたっけ……お茶くみくらいは先輩に勝ちたいな……)


 優華はポットがごとごととお湯を沸かす音を聞きながらそんな事を思ってくすっと笑った。その時、

 ヴーン……。

 不意に胸ポケットの携帯電話がバイブで震えた。
 携帯電話の僅かなモーター音に優華はびくっと肩を震わせ、ポケットからそれを取り出した。そして、恐る恐るその液晶画面に目をやった。


「なに? 男から?」

「きゃあっ!」


 突然、背後から声。優華は驚きで悲鳴を上げ、同時に携帯電話を床に落としてしまった。


「先輩! 驚かさないでください!」


 優華は落とした携帯電話を拾い上げながら強い調子で言った。


「ごめんごめん……でも、そんなに驚くなんて思ってなかったし……」


 謝ってはいるが声の主、真理子にまるで悪気はなさそう。優華は拾い上げた携帯電話を再び胸のポケットに押し込んだ。


「驚きますよ……もう……」


 優華が真理子を見ると彼女は制帽を被り、ショルダーバッグを肩にかけ、ロングブーツを履いていた。


「あ、外回りですか?」

「うん、巡回。回数を増やせって言われてるらしいのよ」


 ややうんざりした様子の真理子。そんな真理子に優華ははっとした。
 一瞬、真理子の姿を見た優華は2週間前の自分が重なったのだ。
 そして同時に彼女の脳裏に真理子が自分と同じ格好で同じようにレイプされる映像が浮かんだ。
 制帽を被ったまま、制服を着たままで無理やりフェラチオをさせられる真理子、浣腸をさせられて排泄させられる真理子……。

 優華はきゅっと目を閉じて打ち消すように首を左右に振ると、不安げな表情で真理子を見た。


「一人で……行くんですか?」

「そうよ……大体巡回は一人でしょ?」

「危険ですっ!」


 思わず優華は叫んだ。普段余り大きな声を上げない優華が上げた大きな声に真理子はぎょっと驚いた。


「ど、どうしたの?」

「え……あ……すみません、なんでもありません」


 すぐに優華の口調は弱まり、真理子に軽く頭を下げた。
 そんな優華に真理子は小首をかしげて一つ、溜息をついた。


「危険……確かにあの事件の犯人は捕まってないからそうかもしれないけど、危険だからって逃げ回る事は警察官には許されてないのよ」

「……はい」

「まあ……あんな事件の後だからそう思うのは仕方ないけどね……それより……」


 ふっと引き締まった表情を緩めた真理子が携帯電話を押し込んだ優華の胸元をじろっと見た。


「……メール、誰から? その反応を見ると男?」

「ち、違います!」


 優華は顔を赤くして激しく首を横に振った。その激しさが真理子には優華が必死に何かを隠そうとしているように見えて仕方がない。


「本当〜?」

「本当です! だ、第一、私にそんな人いません!」

「……そう? 最近、よくトイレに立て篭もってメールを打ってるみたいだし……」


 真理子はまだ突っ込み足りないような様子だったがそれ以上は追求をしなかった。
 唇を尖らせ、うんうんと二度三度頷きながら軽く考えるとちらっと優華の赤い顔を見た。


「じゃあ、友達から?」

「……迷惑メールです」


 優華は素っ気無く言うとぷいと真理子からそっぽを向いて給湯室のポットに歩み寄り、急須に湯を注ぎ始めた。


「真面目なのは結構なんだけどね〜じゃ、行ってくるわ」

 ふふっと真理子は笑いながらそう言って給湯室を離れた。

 ロングブーツの少し篭った踵の音が徐々に廊下の奥のほうへと消えていく。

(男……確かにそうだけど、でもそれは……)


 踵の音が聞こえなくなったのを確認して優華は携帯電話を取り出し、その液晶画面を見た。
 そこには前田からのメールが一通、届いていると浮かんでいた。


(やっぱり……)


 うんざりした様子で見ると件名も何も見ずに携帯電話を右のポケットに押し込んだ。


(……さっき……先輩に言えばよかったかな……)


 携帯電話を押し込むとふと、そんな事を思った。

 自分が犯罪者に徹底的に凌辱された。親にも言えないこの事を先輩の、しかも同じ婦人警官の真理子だったら――。


(……ダメ。言えない……先輩はきっと被害届を出そうとか言う……もし、そこから捜査が始まったら……あいつらはあの写真を……)


 優華は首を軽く左右に振ると給湯室の入口から首を出し、周囲に誰もいないのを確認すると再び携帯電話を取り出して前田からのメールを開いた。

件名:今夜
本文:最近内勤が多いみたいですね。婦警さんの制服姿を見れなくて皆、寂しがってますよ。
     ところで今夜は空いてますか? 最近の調子とかを訊きたいから会いましょう。もちろん、制服を着て来いとは言いません、アフターファイブを楽しみましょう。
     あ、私一人で来ます。他の三人は来ないので安心して下さい。都合のいい時間とかを返信してください 前田


 メールを一気に読み終わると優華は不思議な感覚に包まれた。


(……何を考えてるの……制服を着ない私に価値はないって言ってたのに……)


 今までのメールはまたレイプをしようと考えがあってメールを打っているのが見え見えだった。
 しかし、このメールはそんな所を排除し、優華に気に入られようとしているような、ごく普通のメールに見える。

 しかし、考えようでは制服を着ていない自分には何の魅力も感じていないと言う事は勤務外の私服ではレイプをされないのかもしれない。ついでに獣が4匹のうち3匹はいない。

 優華は真剣な顔つきで考えた。


(……会ってもいいかもしれない……そこで自首するように説得をすれば……あの人達に自首を勧めるのは私しかいないから……)


 そう考えたと優華は返信のボタンを押し、メールを手馴れた手つきで打っていった。


件名:Re:今夜
本文:わかりました。会いましょう。今日は5時に勤務が終わるから5時半には外に出られます。会う場所はできるだけ署から離れた所してください。


 メールを打ち終えた優華は送信ボタンを押した。液晶画面に送信完了の文字が浮かぶと彼女は一つ溜息をついた。

 そして自分に言い聞かせるように呟いた。


「……これでいいのよ」


 優華は携帯電話をポケットに入れると湯呑みに茶を注ぎ、地域課の部屋へと戻っていった。

 

「久保寺君、今日のお茶は随分と濃いねえ」

「えっ、あ……ちょっとお茶を淹れてながら考え事をして……出しすぎてしまったみたいで……」

「いやいや、眠気覚ましにはちょうどいい」

 

 お茶を飲みながらそんな事を上司と話しながら過ごしていた。すると、

 ヴーン……。

 優華の携帯電話が再び震えた。
 優華はポケットからそれを取り出すと、バイブレーションを止めてポケットに押し込んだ


「……あの、トイレに……失礼します」


 そして、そう言い残すと少し慌てた様子で部屋を出て行こうとした。


「今戻りました〜おっと!」


 だが、部屋の出口で巡回から戻ってきた真理子と鉢合わせになった。


「あっ、すみません!」


 優華は手短に頭を下げると真理子の脇を通り抜け、部屋を出て廊下を駆けていった。


「……優華、どこに?」

「トイレらしいぞ」


 上司の素っ気無い言葉に真理子は小首を傾げ、同時にふっと小さく笑った。


「……やっぱり男なんじゃないの〜?」


 そんな真理子の視線を感じながら優華は廊下をハンプスの踵を鳴らしながら歩いた。
 歩きながら携帯電話を取り出し、その液晶画面を開く。

 そこには前田のメールが届いている事が表示されていた。件名は『わかりました』。


(……会えるのね……絶対に説得しなきゃ……これ以上バカな罪を重ねないように……)


 そう思いながらトイレに入り、その個室に入った。

 優華は立ったままで閉めたドアにもたれかかり、メールを開いた。


 件名:それでは
 本文:駅前第2駐車場に来て下さい。そこに黒のフィットが止まってますから、そこにいます。

 一気にそれを読むと優華は溜息を一つ、ついた。
 そして返信を押し、覚悟を決めるように口の中の唾をごくっと飲み込むとメールを打ち始めた。


 件名:Re:それでは
 本文:それでいいです。


 それだけを打ち込むと優華は送信のボタンを押した。
 液晶画面から自分をレイプした男に会うのを了解したメールが飛んでゆく。

 送信完了。

 携帯にその文字が浮かぶと優華は大きく溜息をついた。そしてドアにもたれたままで個室の上で輝く蛍光灯を見上げた。


(危険だからって逃げ回る事は警察官には許されない……先輩、そう言ってたなあ……)


 時々ちかちか点滅する蛍光灯を見ながら優華は真理子の言葉を思い出していた。

 本当は、心の深淵では自分をレイプした男などに会いたくはないと思っている。
 しかし、婦人警官である優華が彼に会うように自分を操作した。もう、キャンセルはできない。


(……そうよ……私は警察官なんだから……会いたくなくても会わなきゃいけないの……逃げちゃダメ……)


 そんな優華の中にある婦人警官としての自分が自分の心の深淵を覆い隠していた。


(……でも……私が警察官じゃなくて普通のOLだったら……)


 そこまで思ったその時、優華は自分で思った事を否定するように首を左右に振った。そしてふっと一つ息を吐くと優華はポツリと呟いた。


「……頑張ろう、優華」

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