婦人警官 制服の為に


1 束縛


「……優華、優華っ!」

 医務室のベッドの上に横たわる優華に一人の婦人警官がその名を呼びかけていた。
 優華は顔に脂汗を浮かべてうんうんとかなり激しくうなされている。その婦警はそんな優華に驚き、彼女を起こそうと体を揺さぶっていた。


「ううん……う……ん……?」

「優華! 大丈夫!」


 彼女の呼びかけに優華の目がゆっくりと開く。
 瞼が開き切ると心配そうな表情を見せ、優華の目を見つめる先輩婦警の顔が入ってきた。


「……せ……先輩!」

 優華は跳ね上がるようにがばっと上体を起こすとそばにいる先輩婦警に抱きついた。
 抱きつかれた先輩婦警は優華の突発的な行動に戸惑う事なくきゅっと少し強く抱きしめ、その頭を撫でた。

「……安心して……こんなに汗をかいて……相当怖い夢を見たのね……」

 上着を脱がされた優華の背中や首筋、顔は汗で濡れ、抱きしめた先輩婦警の手にそれがまとわりついていた。
 先輩婦警はそれを気にする事もなく優しく優華の頭や首筋を撫でた。

「先輩……!」
「大丈夫……私がいるから……」

 

 

 優華を抱きしめるこの婦警、桜井真理子は優華の六つ歳上の巡査。
 この地域課には優華以外に婦人警官は真理子しかしかい。
 必然的に2人でコンビを組む事が多く、また真理子も優華を後輩として大切に扱い、公私で親しくしていた。

 優華にとって真理子は先輩であると同時に憧れの存在であった。
 真理子の仕事に対する真面目さやきっちりとする面はもちろん、姉御肌な所や警察官の不規則な生活にもかかわらず均整の取れたプロポーションを保っている所、見事なナチュラルメイクなどなど、全ての面で自分よりも上を行く彼女に率直な憧れと尊敬を感じていた。

 

「……先輩……あの……」


 真理子からハンカチを手渡された優華は彼女から離れた。そして、脂汗をぬぐいながら怯えたような目で真理子を見た。


「なに?」

「……高橋さん……本当に……その……」


 優華を安心させるように笑みを浮かべていた真理子の表情が曇る。


「…………ええ……正式に身元確認はされてないみたいだけど…………多分……」

「……私のせいで……」


 優華は俯いてポツリと呟くときゅっと下唇を噛んだ。
 そんな優華に真理子はそっと優華の手を握った。


「優華のせいじゃないよ……でも、そう思うのも仕方がないと思うけど……」


 そう言うと真理子は優華の手を握ったままでそっと彼女の顔に自分の顔を近付けた。


「最後にずっとおしゃべりをしていたお婆さんが別れたあとすぐに殺されるなんて……自分を責めるのも無理はないけど……」

「………………」


 違うんです。


 優華はそう言おうとしたが、その言葉が彼女の口をつく事はなかった。


 本当は私を監禁、輪姦した事を口止めするために高橋さんは殺されたんです。犯人は男4人で……。


 その言葉に続くこれらの真実も優華ののどで止められ、口から出る事はなかった。
 警察官ならばこの事情を供述し、凶悪犯を逮捕できるようにするのが使命。

 しかし、優華にとってそれを言う事は当然、レイプされた事も、あの悪夢のような事も思い出して言わねばならない。

「…………」

 さらに、もし捜査の手が4人に迫ったと知ればあの写真もばら撒かれる。

 別にそんな事されてもこの事は言わないといけない――警察官だからそれに耐えて凶悪犯を検挙せねばならない。
 だが、普通の20歳の一人の女となると。
 そんな事をされるのは耐えられない。絶対に避けたい。


「…………」

 そしてなにより。4人は自分の障壁になるような事があればどんな手を使ってもそれを排斥する。

 目的のためならば人の命くらいどうとも思っていない。この殺人事件でよくわかった。
 下手をすればその矛先は当然、自分にも向くかもしれない。

 優華はまだ20歳。絶対に死にたくない。

 見えない刃を見えない所に突きつけられているような恐怖を感じ、優華はベッドの上でうつむき、黙り込んだ。

「……優華、元気を出して。私でできる事があればなんでもするから」


 黙りこむ優華の肩を優しく真理子が撫でる。

「…………はい、ありがとうございます」


 優華は小さく返事をして真理子の優しさに感謝した。
 真理子はそんな優華に笑みを投げかけると立ちあがった。


「じゃあ、私地域課にいるから。みんな外に出払ったから電話番をしないと……優華はまだ休んでていいよ」

「あ、でも……」

「いいから」


 真理子はぽんと優華の肩をもう一度軽く叩くと一つ心配ないよと言いたげにウィンクを一つ、送った。


「もっと楽になったら来ればいいから……ね。あ、さっき優華の携帯が鳴ってたよ。じゃあ」

「はい、すみません」


 ぱたぱたと真理子が部屋を出て行く。
 優華は大きくまとめて息を吐き出すと
ベッドのそばにある棚に置いてある自分の携帯電話に手を伸ばした。


「……メールか」


 優華は手馴れた手つきで携帯電話を操作してメールを開いた。

「…………!」

 その瞬間、優華の顔から血がさっと引いた。そして慌てて布団を頭からかぶり、布団の中に全身を潜り込ませた。

 布団の闇の中。優華は携帯電話の液晶の光だけで新着メールを見た。


 件名;今、警察が集まっています
 本文:今日はお疲れさま。楽しかったですね。今、婆さんの家の周りに警察が集まってますけど、婦警さんは来ないの? また婦警さんの制服姿、見てみたいから
    必ずお会いしましょう。その時は今日みたいにロングブーツを履いてきてください。他の連中もきっと萌えますよ。前田

 


 優華はメールを読むと愕然とした表情を液晶画面の光に照らした。


「そ……そんな……高橋さんを殺しただけじゃなくって……まだ私を……」


 優華はそう呟くとメールの返信を押し、親指で携帯電話のボタンを押し始めた。



 件名:
 本文:これ以上罪を重ねるのはあなた達の為にはなりません。どうしてそんな事をするのですか? 私を写真で縛ってあなた達に繋げてどうする気なのですか? 
    もうやめてください。お婆さんを殺してしまった事は自首をして罪を償ってください。私をレイプしたことは黙ってあげますから。お願いします


 そして一気にそう書くとその勢いで送信ボタンを押した。目の前の画面が切り替わり、しばらく送信中の画面が写るとすぐに送信完了の画面になる。

 優華はそれを見ると思わず一つ、ため息をついた。


「……まだ……私が……」


 そう呟くと優華は携帯を持ったまま再び布団の闇の中で目を閉じ、闇に身を躍らせた。

 しばらくして。

 ヴーン……。

 うつらうつらと眠りの世界に入りかけたその時、手の中にあった携帯電話が震えた。
 優華は無理やり現実に引き戻され、慌てて携帯電話のバイブを止めた。


「……メール……」


 誰からのメールか。優華にはそれが誰からかは薄々感づいていたが、ゆっくりとメールを開いた。

 件名:残念ながら
 本文:自首はしません。自首をしたらもう婦警さんに会えなくなりますから。俺達はいつまでも婦警さんと仲良くしたい。だから自首する訳にはいきません。婦警さん
    が婦警さんである限りは、ね。またメールします。前田


 

 メールを読み終わると優華は手から力が抜け、携帯電話がすり抜けた。


「……私が婦人警官である限り……私は……」


 優華が今着ている婦人警官の制服を脱がない限り、4人はいつまでも自分に関わり続けるつもり。

 4人と断ち切るには警察官を辞めて普通の女性になるしかない。
 そうなれば連中にとっての大きな価値が失われ、優華は自分達の悪事を知る邪魔なだけの存在となる。そうなると――。


 優華の生きる道は優華が婦人警官であり続けるしかない。しかし、それはこれからも連中に関わられ続けるという事だった。
 あんな悪夢のような時間をまたすごす事になる――。

 優華は布団の中で丸まり、絶望的なラビリンスの輪にはまってしまった自分に一つため息をついた。

 そして、ぽつんと呟いた。


「婦人警官なんかに……ならなきゃよかった」

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