第1章 一瞬

 巡回ルートの最後にある高橋の家は田中の家から少し離れた住宅密集地にあった。

 そこはそれほど新しくも、また伝統が生まれるほど古くもない住宅地。昼下がりの今は車の通りや人通りも少なく、時折クリーニング店の配達用の車が止まっていたりチリ紙交換がやってくる程度しか動きのない町である。 

 そんな住宅密集地の中を優華はポニーテールを揺らし、冬前の薄い光にまだ新しさの残る紺色の制服を輝かせて、ロングブーツの踵の音高く歩いて行った。


(……ここね)


 ブーツの踵の音しか聞こえない中をしばらく歩き、目的である高橋の家の前に着いた。その家は周りの物と比べてそんなに大きくない平屋建て。道路に面した所にすぐ玄関があるやや古い家だった。

 玄関先には植木鉢に植えられた花があり、家のそばには配達中のクリーニング屋のワゴン車が止まっている。


(……いるかな……)


 優華は何となくこの家も留守のように感じつつ、玄関の脇にある呼び鈴を押した。


 ……………………。


 呼び鈴の音は家の中で鳴ったようだが、それ以降に続くはずの応答の声や人が玄関に近寄ってくる様子はなかった。


(……留守かな……?)


 思わずそう思って一つ溜息をつくと施錠してあるかどうかを確認しようと玄関の引き戸に手をかけた。


「えっ」


 戸を引いてみると何の抵抗もなくあっさりと引き戸は横に滑った。あまりの手応えのなさに優華は思わず驚きの声を短く上げた。


(……無用心ね……それとも中にいるのかな?)


 施錠していない引き戸に僅かな不審と大きな危うさを感じた優華は家の中に入った。


「ごめんくださーい。高橋さん、警察です。巡回に来ましたー」


 優華は若々しい声で呼びかけてみた。

 それほど大きくない家。辺りに轟くような大音声を出さなくても声は家中に届くはず。しかし、優華の声以外何も聞こえはしなかった。返事を待とうと優華は玄関に立ち尽くしたが、いくら待っても返事はない。

 返事のない沈黙の時間が続くに連れて彼女の心に大いなる不安が涌き出て来た。


「……まさか……」


 急病で人知れず倒れている――。都市の独居老人が誰にも看取られず亡くなっていく話を優華は何度も聞いた。そしてこの巡回にはそれを防ぐと言う側面もある事は知っていた。

 優華はその場にかがみ込み、左右のロングブーツのジッパーを急いで下ろすと、ブーツを脱ぎ捨てて家に上がりこんだ。


「確か、心臓が悪いって言ってたっけ……」


 ストッキングで滑りそうになりながら優華は廊下を行き、家の一番奥まった所にある居間に向かった。


「お婆ちゃん、大丈夫です……か?」


 少々物でごちゃごちゃした居間に飛び込む。そこにはこの家に住む老婆が倒れて、はなかった。いや、その老婆の姿すらない。


「……あれ?」


 優華は二歩三歩と居間の中に歩を進めたその瞬間、不意に背後に人の気配を感じた。


「……ふむっ!」

気配に振り返ろうとしたその刹那、優華の背後に人が立ち、彼女の首を抱え込むようにしながらタオルのような布を彼女の口に押し当てた。

優華は悲鳴を上げる間もない。無言でぎりぎりと締め上げるような強い力が首を覆う。

普通の女の子のようにパニックに陥るが優華は婦人警官。冷静に首を締め付けるように回された腕を両手で掴むと警察学校で徹底的に叩き込まれた護身術の技を繰り出そうとしたその時、


「んんんぅ!」

突如優華の首の後側に火花のような物が押し当てられた。

一瞬、全身に電流のような刺激と痛みが走った。優華はその突然のショックに全身をこわばらせ,タオルで押さえられた口から甲高いこもった悲鳴を上げた。

その悲鳴が切れた瞬間、全身のこわばりが解け、腕を掴んでいた手や踏ん張っていた足から力が一気に抜けて腕の中でぐったりとなった。

 腕の中で優華の頭が垂れた瞬間、被っていた制帽がするりと外れて畳の床の上に落ち、ほぼ一緒に肩にかけていたショルダーバックも落ちた。

 全てが一瞬。一瞬の間に優華の意識は飛ばされた。


「……危なかったな、松永。あと一瞬、俺がこれを当てるのを遅れていたら投げ飛ばされていた」


 スタンガンを持った作業着姿の中肉中背の男が苦笑いを見せ、優華を抱えている同じ作業義姿の茶髪の男、松永に言った。


「いやあ、やっぱりただの女じゃねえんだな、婦警って……それより前田さん、この婦警どうするんで?」


 明かに大きな期待を持った口調の松永。前田はふっと小さく笑うと手にしていたスタンガンをズボンの後ポケットに押し込んだ。


「慌てるな……今日最大の収穫だ。後でゆっくり楽しめばいい……こんなボロ家には用はない。行くぞ」

「おおう!」


 前田は床に落ちた優華の制帽を拾い上げると彼女に深々と被せ、松永と盗んだ物を入れる為に持って来ていた大きな布袋に彼女とショルダーバッグを押し込んだ。

 そして二人係りでその袋を居間から玄関へと運び、そこに脱ぎ捨ててある優華のロングブーツも袋に入れると家のそばに止めてあるクリーニング屋のワゴン車に押し込んだ。


「へへっ」


 快心の仕事に笑いながら松永が運転席に座っている時、前田は玄関から家の中に向かって深くお辞儀をしていた。


「毎度ありがとうございました!」


 そう言うと急いでワゴン車の荷台に乗り込み、ドアを勢いよく閉めた。するとそれを合図にするように同時にワゴン車は勢いよく走り出した。

 車が走り出すと荷台の前田が袋の中の優華のショルダーバッグを開け、中を物色し始めた。運転席で松永がその様子をフェンダーミラー越しに見ている。


「財布か何かある?」

「あるが小銭入れだ。まあ、大金持って外回りなんかする訳が……おっ」


 不意に前田が言葉を切った。何か興味深い物を見つけたの違いない。そう思った松永の顔がニヤッと緩んだ。


「何かあった?」

「警察手帳……この婦警、久保寺優華って言うらしい」

「優華ちゃん。いい名前じゃん。で、何歳?」

「ちょっと待て……二十歳だな……もうすぐ二十一歳だが」

「じゃあ、処女かもしれねえ」


 運転席から松永の軽口が飛び、ルームミラーにお世辞にも上品とは言えない笑みが映る。前田もふっと笑い、手にした警察手帳を自分の作業着の胸ポケットに入れた。


「最近は中学で初体験とか言う時代だ。わからんぞ」

「でも、婦警ってクソ真面目で堅物だろ? だったら男なんか知らねえだろ」

「まあ、これこそヤッてみないと……さて」


 前田は袋を開けて中で横になる優華の制服の上をボディチェックのようにさすり始めた。


「いいなあ。つまみ食い」

「バカ。財布を肌身離さず持っているのかもしれないだろ……ん?」


 ちょうど前田の手が優華の腰に来た時、彼の手に何か硬い物が感じられた。そこはポケットがない場所で上着に何かを入れているとは考え難かった。

 前田はそっと上着をめくってみた。優華の腰にスカートのベルトと共に警棒や手錠を納めるホルダーの着いたベルトが巻かれている。そしてホルダーには警棒と手錠がしっかりと納められていた。


「ちょうどいい。使わせてもらおう」


 そう言いながら前田はホルダーから手錠と警棒を取り出し、布袋の中に丸くなって押し込めされている優華を袋から出すとその両手を後に回させて手首に手錠を掛けた。

 後ろ手に手錠を掛けられた優華を見た前田はふふっと笑った。


「本当は俺達を逮捕する為の物で婦警を拘束するか……おもしろいな」


 そしてそう言いながら今度は一緒に袋に入れたロングブーツを手にした。

手の中で力無く広がる黒革のロングブーツ。前田はくん、と一つその香しい香りを鼻の中に揺らめかせると革を広げて彼女の左足にそれを包み込ませた。

パンストに包まれたつま先を丸いトゥに入れて踵をゆっくり入れる。そしてラッピングでもするように優しくその脚に黒革をまとわせてゆっくりとじらすようにジッパーを上げていく。


「最高なんじゃねえ?」


 その様子をフェンダーミラー越しに見ていた松永が不意にそんな事を口にした。


「どう言う意味だ?」

「ロングブーツを履いた婦警をこうして手に入れた事。いつも襲うヤツってロングブーツを履いた女だもんな。女子高生とかパンプスやハイヒールの女は見向きもしてねえし」


 松永の言葉に前田は怒るでもなくふっと軽く笑った。


「どうかな……」


 短くそう言う間に優華の左脚がロングブーツに包み込まれた。前田は同じ様に右足にもロングブーツを丁寧に履かせ始めた。


「で、どこへ行く? ブーツを履かせたって事は家の中じゃねえとは思うが」

「ちょっと俺達の家とコンビニに寄ってくれ。必要な物がある」

「野村や吉田はどうする?」


 松永がそう訊くと前田はふっと小さく笑った。


「無論、呼ぶ。今日はパーティーだ」

「あいつら、最近女とヤッてないって言ってたから喜ぶだろうな〜」


 松永は嬉しそうに笑いながらアクセルを強く踏んだ。そして再びルームミラー越しに前田を見た。


「で、その後は?」

「硫黄山だ。あそこは人通りも少ないから見つかって通報される事はない。その方が俺達も、そして……」


 そこまで言うとちらっと前田は横になる優華の顔を見た。


「この婦警さんもこれから見られたら困るような事になるんだ。その方がいいだろ」


 前田はそう言うとふっとこれからの事を考えて楽しそうに、しかし妙に冷たく笑い、松永も同時にへっと軽く笑った



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