婦人警官 制服の為に
序章
「よし、鍵はかかっている……っと」
その日、婦人警官の久保寺優華は一人暮しの老人の家を回って様子を見る巡回に一人で出ていた。
田舎だったらそう言う事は駐在所のお巡りさんがする所だが、中規模の都市にあるこの警察署管内では地域課の警察官が行なっていた。
(田中さん留守……と)
家の扉に鍵がかかっている事を確認すると報告書にその旨を書いた。
まだ20歳そこそこ、警察官として配属されてから1年程度の優華。普段は使い走りのような仕事ばかりだが、今日は署内の人手不足も手伝って巡回を1人で任されていた。それはこの町がそんなまだ若い婦人警官が1人で巡回しても大丈夫な平和な町と言う事も意味しているのだが。
それでも1人で仕事を任された事を優華は嬉しく感じていた。なんとなく一人前になったような感覚を覚え、留守などの状況を紙に書く手に自然と力が篭る。
(……うーん……今日はみなさん出かけてるのかな……留守が多い)
下敷きの上に挟まれた状況報告書をぱらぱら見ながら優華はふっと一つ息を吐いた。
今まで回った家々はどこもかしこも留守。優華は巡回コースをいつも以上にかなり早く回っていた。
(この調子だと……最後の家にお婆さんがいてもかなり早く署に戻る事になるな……)
会社のぐうたら営業マンだったら時間合わせにパチンコだ喫茶店だとなるところだが、この婦人警察官、優華は違う。
(でも、早く署に帰っても報告書とか書かなきゃいかないし……それだったら早く済ませよっと)
よしと優華は力強く一つ頷き、最後の家の書類を確認するようにして見ると、それをショルダーバックの中に入れた。
そして最後の家に向かおうと踵をさっと返したその時、
「あら、婦警さん……何かありましたか?」
家の前に両手に買い物袋を下げた白髪の老婆がきょとんとした表情で立っていた。
優華は突然の警察官の来訪に少々戸惑う老婆を安心させようとするようににこっと顔を緩めた。
「こんにちは、田中さん。お買い物ですか?」
「ええ。昼までのタイムバーゲンにそこのスーパーへ。今日は卵が安かったんですよ……で、何か?」
「いいえ。巡回です。別に何もありません……あ、持ちましょうか?」
優華は田中が持つ買い物袋に目をやるとすっと袋に手を伸ばした。そんな優華の申し出に感謝するように田中はにこっと笑い、首を軽く横に振った。
「いいえ、大丈夫ですよ。もう家に着いていますから……」
「じゃあ、冷蔵庫に入れるのを手伝いますよ。そんなにたくさんの物を屈んで冷蔵庫に入れるのは大変でしょうし」
「でも、婦警さんにそんな事まで……」
「いいんです」
優華はもう一つにこっと笑った。そんな優華に田中は少し申し訳なさそうに口元を緩めると息を抜いた。
「じゃあ……お願いします。今、鍵を開けますね」
「お茶がはいってますよ」
「……あ、頂きます」
冷蔵庫に物を入れ終わると同時、田中がお茶を淹れた。優華は一瞬、悪いかなと思ったが、茶を淹れてにっこりと待つ田中を見ると断る方が悪いと思い、軽く会釈をしながら茶の前に正座した。
「最近はどうですか? 何か困った事とかありませんか?」
「はい。何もありませんよ」
田中は自分の孫に接するように顔の皺をさらに深くさせた。優華も自分の祖母かそれ以上歳の離れた田中を優しい眼差しで見た。
「そうですか、それはいいですね。何もない事が一番ですから……でも、最近一人暮しのお年寄りを狙った空巣や強盗が頻発していますから気をつけてください」
「はい。色々ニュースとかやってますもんねえ……だから私もそこのスーパーへ行くのにも玄関の鍵を掛けるようにしてます」
「そうです。いい心がけですよ」
にこっと優華が笑う。田中も嬉しそうに笑い、茶を一口すすった。適度に口を湿らせた田中はふうと一つ溜息をついた。
「本当……物騒な世の中になったもんだわ……婦警さんも大変でしょう」
「ええ……私が暇になればいいんですけど」
優華の言葉に田中がくすくすと笑った。
「……そうなるといいねえ……あ、そうだ」
くすくす笑っていた田中の表情が一瞬、不安げな物になった。
「この前、回覧版にこの辺りで痴漢が多発しているって書いてあったけど、本当?」
田中の言葉に優華の表情に一瞬、さっと雲が掛かったように暗くなった。
この辺りで痴漢が多発している事は交番を通して周辺住民に連絡が行っている。しかし、その「痴漢」と言うのは表向きの表現だった。
本当は痴漢ではなく、レイプ犯。この辺りでは最近、帰宅途中の女子高生からOLまで幅広い年齢層の女性が襲われレイプされていた。
しかも、1人ではなく2人から4人程度の集団で一人の女性を輪姦している。
同じ女性、そして婦人警官である優華にとってそれはとても許される物ではなく、情報を聞く度に怒りに燃えて自分の手で犯人を捕らえたいと強く思っていた。
「……婦警さん?」
「あ」
顔を曇らせて軽く黙る優華に田中が不安げに呼ぶ。優華ははっとして反射的に軽い笑みを浮かべると、真剣な眼差しで田中を見た。
「……ええ。ここのところは町内会のみなさんの警戒や警察の夜間巡回で起きてはいませんけど、油断はできません。田中さんも気をつけてください」
「私みたいな枯れた女が襲われる訳ない。それより、婦警さんの方が気をつけてくださいよ。若いんだし」
田中の表情は心配その物。まるで優華を本当の孫のように心配し、大切に見ているようであった。
優華はそんな田中の心配に感謝で心が震えた。そしてうんと一つ頷くと田中を安心させる満点の笑顔を浮かべた。
「ありがとうございます。でも、私は大丈夫です」
そう言うと一度茶を口にして僅かに間を置き、再び笑顔で田中を見ながら力強く言葉を続けた。
「私は警察官です。襲ってきたら私が捕まえちゃいます」
田中を出た優華は家から適当に離れた場所で次に向かう最後の巡回先、高橋の家の場所やそこにいる住人の情報を確認していた。
(ここはお婆さんが一人……ちょっと心臓と足が悪いか……じゃあ、家にいそう)
道の端を歩きながら情報を確認して優華はうんと一つ頷き、書類と手帳をショルダーバックの中に入れかけた。
しかし、その手をふと止めて再び手帳を取り出してそれを広げた。
(……こいつがレイプ犯か……)
そこには走り書きの筆跡でこの辺りで起こっている連続レイプ犯の特徴が書かれていた。
田中との話題に上った事で再びこの極悪非道な犯人達への怒りが燃え上がり、絶対に自分で捕まえると気持ちを新たにしたのだ。
優華は犯人の特徴や犯行の手口を読んでいくとふと、ある一文に目が止まった。
『被害者はロングブーツを着用している場合が多い』
「……ロングブーツ……」
ぽつりと呟いて自分の足下を見てみる。
そこには官給品の黒光りするロングブーツ。プライベートでは余り履くことは無く、自分の脚が黒い革に包み込まれている様子にやや違和感を覚える。
(じゃあ……私も犯人のターゲットに……)
優華はくすっと一つ笑った。
(いくらロングブーツが好きな犯人でもね……)
そして手帳を閉じてショルダーバックに押し込んだ。
(警察官を襲うなんてバカな事はしないか……)
そう思うと再びロングブーツ独特のこもった踵の音を響かせて歩き出した。