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 玄関でブーツを脱ぎ――サイドジッパーがないニーハイブーツで脱ぐのに苦労しつつ――中に入ると買ってきた食べ物や飲み物を開けた。

「凄い人ごみだったね……」
「う、うん……」

 彼の口数は相変わらず少ない。恐らくギリギリの所でガマンしているのだろう。喉や口が乾いてお茶やジュースを何度もがぶ飲みしている。

「……ね、ねえ」

 1リットルのお茶のペットボトルを空にした彼が押さえきれない興味を顔に映して彼女を見つめて訊いた。

「あのロングブーツ……いつ買ったの? いやね、僕見た事ないから……」
「うん……この前。給料が出た時に……ごめんね」
「え?」

 急に謝られて彼はきょとん。彼女はふっ、と笑顔を消して申し訳なさそうな表情を見せた。

「この前……私よりもロングブーツの方が好きなんだって疑ったでしょ? その罰金みたいな感じで……」
「そんな……謝るのは僕で……」
「だから」

 彼の続く言葉を制して彼女が続ける。

「疑う前に戻りたかったの。気持ちもあなたを見る見方も。それで初めてロングブーツが好きって気付いたのがこんな長いロングブーツを履いた女の人を見た時だったって思い出して……私も、って」
「…………」

 彼は黙っている。彼の表情には心配と彼女と同じような申し訳なさが浮かんでいる。
 彼女はさらに続けた。

「私ね、今すっごくどきどきしてるし、なんだか変われそうな気もしてる。あの時……ロングブーツを履いて最初に会った時と同じ気持ち……なんだかわかんないけど……上手く言えないけど……」

 そこまで言うと彼女はははっと誤魔化すように笑った。彼はこくっと頷いてすうっと彼女を真っ直ぐ見据えた。

「……僕も……あれを履く君を見て……すっごくどきどきしてる。初めて履いてきた時みたいに……ねえ、2人きりになったから……あれを……履いてくれないかな……」

 ちらっと肩越しに玄関で折れ曲がって揃えているニーハイのロングブーツを見た。

「……まだダメ……シャワーも浴びないと汚い……」

 彼女が微笑んでそう言ったその時、

「んっ」

 彼が突然彼女のそばに寄り、間髪いれず押し倒しながら彼女の唇を奪った。程なく彼女の唇が彼の舌にこじ開けられて彼女の中に滑り込んでくる。

「んん……ん……」

 2人は目を閉じて互いの感触だけを味わう。唇が擦れ合い、激しく、濃く互いを貪り合う。

「ん……あふぅ……」

 そうっと彼が彼女から離れる。彼女はゆっくりと目を開けて真上にある彼の顔を見た。

「……シャワー、浴びなくてもいい?」

 彼女の問いかけに彼は黙ってうなづく。そしてちらっと彼女から視線を外して他を見た。
 彼女もほぼ同時、同じ方向を見た。
 そこは玄関。彼女のニーハイロングブーツが蛍光灯の光を黒革に受けてその出番を待っていた。

 彼女はベッドにかけた。手にはニーハイロングブーツ。

「……ちょっと待っててね……」

 そう言いながら一度ブーツを置き、その右側だけを再び手にした。そして、ブーツの口を割り、ぴんと伸ばした右足のつま先を入れた。
 ゆっくりと、絞られた筒の中を足が入っていく。
 両手で筒の革を摘み、ぎちぎち、ぎゅむぎゅむと革を軋せ、皺を作ってはぴんと伸ばすを繰り返して徐々に足に黒革を吸いつかせていった。

「……むくんじゃったかな……ちょっとキツい……」

 彼女は手に力を入れて口を引き、キツさと拘束感を覚えながらぎゅむぎゅむとブーツの口を膝へ膝へと上げていく。
 だらん、としていた黒革に中身が入って行き徐々にその美しく優美な形を怪しげな輝きを見せていく。
 一番細い足首につま先が到達。彼女は両手でブーツの足首部分を抱えるようにして持ち、さらに力を入れて口を引いた。
 ぎゅむぎゅむ、とブーツの革が鳴く。狭い足首の中で彼女の足が奥へ入ろうとぐにょぐにょと蛇のように動きながら中へ中へと入っていく。足には軋む革からの締めつけられる拘束感。
 それはニーハイロングブーツと言うこれ以上なく美しく、妖艶で、彼も彼女も変えてしまう魔法の道具が足に吸いつく為の産みの苦しみ。
 彼女はぎゅぎゅっと革をさらに引っ張って足を革に包ませていった。

「んっ」

 かぽ。足が足首を通りぬけ、一気に踵に足の踵も落ちた。彼女は足の指を動かし、足首を回し、足にロングブーツを馴染ませる。
 ロングブーツは彼女の足の動きと一緒に皺を寄らせたりぴんと張ったりして艶を乱反射させて人間の体の一部分とは思えぬ外見を見せた。

「よし……」

 彼女は足首を回しながらさらにロングブーツの口を引っ張る。
 膝下までしか来ていなかった口先がしゅるしゅるとロングブーツの内側と肌が擦れる音を立てながら膝小僧の頭辺りまで伸びてきた。
 そして、両手で足首を包み込み膝にかけて寄った皺を伸ばすように革の上を滑った。
 黒革が引き伸ばされ、全体にぴんと張り、蛍光灯の光を直線的に、しかしぼんやりと白く弾き返す。

「……片方できた」

 彼女がくすっと笑ってすぐそばで座っている彼に「脚」となった「足」を見せた。
 つん、と先の絞れたポインテッド・トゥ。足の甲や裏を包み込む黒革が白くはっきりした艶を湛えながら流れるようなラインで彼女の足を描いていく。
 少し低めのピンヒール。くるっと絞れた踵。そして、きゅうっとさらに絞れる足首。アキレス腱には皺が寄り、複雑に艶のラインを黒革の上に映し込んでいる。
 彼女が足首を動かしたり回す。ぎゅむぎゅむと革が擦れ合い、不規則に皺と艶が現われては消える。それは白と黒の万華鏡。
 普通の女性の足を美しく妖艶に、いや、淫靡に装わせる舞台装置のようだった。
 彼の喉がこくん、と鳴った音を彼女は聞いたような気がする。

「ね、ねえ……触っても……いいかな」
「うん。いいよ」

 彼女が言うと彼はそうっと彼女の脛に手を置いた。僅かに大きな曲線を描く脛から膝へのライン。紫煙のような艶が僅かに波打ちながらラインに沿って続いていた。
 彼はブーツに置いた手をゆっくりと滑らせた。しゅしゅっと擦れる僅かな音と革に閉じ込められた彼女の温もりを味わいながらゆっくりゆっくりと滑らせていく。

「……はあ……」

 甘い吐息をつくと同時に手が膝頭までくる。膝小僧を全て覆うか覆わないかの辺りで切れる黒革。彼の手がそこで止まる。

「……もっと……」

 そう呟くと彼は黒革に包まれる膝に口をやり、軽くキス。すうっと鼻から息をすってその化学的な香りを嗅ぐ。
 手が膝から裏へ滑り込む。
 今度は脹脛。ぴん、と彼女の脹脛に吸いついた黒革はまさに彼女の肌と同一の物と言えた。
 彼は膝頭や脛に顔を寄せてキスをしたり、舐めたりして堪能しながら脹脛に回した手でそこを撫でたり軽く、揉んだりした。
 ぎゅむぎゅむと革が鳴き、艶が曲がったり歪んだり。もらった風船を抱き締めたり握ったりしてその感触を楽しむ幼子のように彼女の黒革に包まれた脹脛を手で味わう。
 彼の顔が脛から徐々に脹脛へと移る。柔らかなその部分をキスと同時に舌の先で舐める。ぎゅうっとロングブーツに包まれた彼女の脚を抱きよせながら夢中で味わっている。
 そんな彼を彼女は見ながらとても可愛らしく感じ、そっと彼の頭を撫でた。

「……ねえ」

 夢中で自分の脚を味わう彼を見ているとなぜか彼女の胸がどきどきと高鳴る。彼女は彼の頭を撫でる手をそうっと後頭部からうなじに滑らせながら囁いた。

「……ごめん……気持ち悪かった?」

 彼がはっと顔を上げて彼女を見る。少し怯えているような顔。
 気持ち悪がられて二度とロングブーツを履かなくなるんじゃないか。
 そんな心配をしている顔のようだった。彼女は小さく首を横に振るとそうっと床に倒れている左側のロングブーツを手にした。

「もう片方もあるから……履かせて……くれないかな……? 私も……一緒に楽しみたいし……その……キツいでしょ?」

 彼女はそう言いながら彼を見下ろした。
 彼女のロングブーツに包まれた脚を堪能し、味わったせいなのか、彼のデニムの一部が突き破らんばかりに張っている様子が見えた。


「……んっ、と。履けた」

 彼女はふと、表情を緩めた。
 新たに左足にニーハイのロングブーツが吸い付いた。
 黒光りする革が足のライン沿いに怪しげに青白く輝き、脚のラインを美しく描く。脹脛はぴんと革が張り、脛は若干の横皺が走って白い光沢の筋を描いている。
 きちんと履けた事を示すように足首を回す。
 ぎゅむと革の軋む音と共に無数の皺が浮かんでは消え、それはまるで漆黒の闇に走る花火のよう。
 彼女は軽く脛の皺を伸ばすように両手を滑らせ、革の終点、膝頭にある別の手にそっと自分の手を乗せると肩越しに後ろを見る。

「手伝ってくれてありがとう……」
「ううん。似合っているよ……」

 肩のすぐ後には彼の顔。少々荒い息遣いがそのまま彼女のうなじや耳元を直に撫でる。
 彼は彼女のすぐ後ろに座ってロングブーツの口を引っ張って履くのを手伝っていた。
 その間、彼の息遣いは荒くなり、彼と密着している背中や首元に上昇した彼の体温を感じられていた。

「……ありがとう……ちょっと……キツかったから……」

 思わず、彼女はもう一度礼を言う。
 似合っているよ。
 彼の最上の褒め言葉。それを耳元で囁かれただけでぞくっと背筋が震える。

「……ちょっと……待ってね」

 彼女はそう言うとゆっくりと両脚をベッドに上げて、ちょうど体育座りのように屈んで座った。
 その姿勢になる途中もニーハイのロングブーツはぎちっと軋む鳴き声を立て、膝の裏やアキレス腱に無数の皺を刻む。対称的にぱん、と張っていた脹脛や脛がさらに張って蛍光灯の光を艶っぽく弾き返し出している。

「…………」

 彼は何も言わずに彼女を全て抱え込むとゆっくり、彼女の膝頭にあった手を下へと滑らせ出す。
 しゅしゅっ、と革と彼の手が擦れる音が静かな部屋にやたらと響く。ロングブーツの革の質感を楽しむように、ぴん、と張った脹脛。特にそこを彼は愛しそうに撫で、軽くきゅっと摘む。

「……はあ……」

 彼の吐息。熱い吐息がかかる度にぴくん、と彼女の体が無意識に震える。ゆっくりと彼女は体を彼にもたれさせて顔を近付ける。その手でロングブーツの革の質感を楽しんでいる彼の顔を見上げる。
 彼の頬は高潮気味に赤く染まり、彼自身の手、彼女の脚をじっと見ている。

 興奮している。
 私の脚で。ロングブーツを履いた私の脚で。
 私の脚に、ロングブーツを履いた私の脚に夢中になっている――。

 その顔を見るとそう感じられ、彼女自身もぼうっと全身の体温が上がり、目が熱に冒されたようにとろんとしている様子を感じ取れた。
 その時、彼がふと彼女の顔を見た。

「あ……んっ……」

 ゆっくりと彼の顔が近付いて唇が重なり合う。

「ん……んん……」

 唇が重なり合うと同時に彼の舌が彼女の口にすべり出し、彼女の口の中で転がすように動く。
 口の中に侵入してきた彼の舌に彼女も追い出そうとはせずにチークダンスでも踊ろうとするように絡みあって蠢く。

「んん……」

 彼女の鼻から抜ける息の量が増える。彼もさらに増え、呼吸も早くなりだす。ロングブーツを触る手にも力が入り、脹脛の革の膨らみに親指の跡が残る。
 その時、ベッドに置かれていた彼女の手も動き出した。自分のすぐ後ろに張りついている彼の体。張りついている彼の体。服の上からでも1ヶ所、ごつっと突き出た部分を感じ取れる。
 彼女は手をゆっくりとそこに回し、ごつごつしたデニムの上を撫で隆起した1ヶ所を掌で撫でる。

「ん……はあ……」

 二人の口が離れる。つっ、と濃い唾が二人の舌をつなぎ、ふつと切れると彼女が小さく笑う。

「……キツいでしょ……?」
「……うん……ね、ねえ……」

 ロングブーツを撫でながら彼が何かを頼もうなと思った彼女は薄く笑ったままで隆起した部分に走っているジッパーを摘み、さあっと下ろした。


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