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 それから二人はおしゃべりしながら街をぶらぶら。宛てもなく歩き続けた。
 その間、彼女は彼の目の辺りを観察した。
 彼の方はそんな彼女の観察眼を感付いているのかいないのか、笑顔を見せて彼女の視線を受けてお喋りをしていた。
 彼女とのお喋りが心底楽しい、そう言いたげな笑顔を向けながら。

(……考えすぎかな)

 彼の様子を見ると彼女はふと、そう思った。しかし、まだ完全な安心を得た訳ではない。

(……ブーツ履いた女の子は見ないけど……ブーツは見てるし……)

 そう、ショーウィンドウに飾られたブーツやブティックのマネキンの足下に履かれたブーツ。それらはきっちりと彼は見ていた。それどころか、

「あ、ねえ。ブーツ見て行かないか?」

 とショップに彼女を誘う始末。
 余程ブーツが好きなんだなあ。そう言えば、ブーツが雑誌に載り出した頃から雑誌を見たりしてブーツを見てた事もあったっけ。
 そんな事を思いつつ、彼女はブーツの試着をしていた。もっとも、買物に変わりなく、また新しいブーツを買おうかどうかと思ってたので嫌がったりそれを拒む理由もなかったのだが。

 ウィンドウショッピングやブーツの試着などをして、ファストフードの店で食事。それが終わればまたウィンドウショッピング。そんな事を続けて今日一日が終わろうとしていた。
 早めに到来する夜の帳。クリスマスの予行練習のように突き出すイルミネーションに彼の笑顔が浮かぶ。

「……あ、ねえ」

 何件目か知らぬショーウィンドウの前で彼が少しためらいがちに訊く。
 これが来ると後は二人きりで。今までのデートの流れだった。
 彼女はくすっと一つ笑うとそっと彼の腕を掴んだ。

「……今日は私の家じゃなくて……あなたの家に行きたいな……」
「僕の?」

 一瞬、彼が驚いたような顔を見せる。ホテル以外で大抵、夜に二人きりになって寝る時は彼女の家に行くのが常だった。
 それは彼女の家にロングブーツが常駐しているからに他ならなかったからだったが。
 彼は僅かに考えると軽く、笑った。

「片付いてないよ」
「いいよ。どうせ……最後はぐしゃぐしゃになるんだし、ね」

 彼女がふふんと笑った。彼はこくっと小さく頷いた。

「じゃあ……コンビニで何か買って……行こうか」
「……あ、うん」

 彼女も小さく頷く。何かを訊きたそうな素振りを見せたが彼はそれに気付かずに彼女の手を握って家に向かって歩き出した。
 ロングブーツがなくても……いいの?
 訊きそびれたその質問を心で唱えながら彼女は彼の横顔を見上げていた。

 コンビニで軽くお酒や食べ物を買い、彼のワンルームタイプのアパートに。片付いていないと行っておきながらまあ、独り暮しの男としては片付いている方だった。
 テレビを見つつ、買ってきたお菓子や食べ物を摘み、軽い酒をかわし、お喋り。

「今日、駅前にいた凄い格好の人見た?」
「見た見た。頭の先から靴下までイチゴ柄に統一したいかにもオタクって感じの女の人だろ?」
「え……私が見たのは背中にミッフィーのリュックを背負って超ミニのおばさんなんだけど……そんなのいた?」

 外で一日中あんなにも喋ったにも関わらず、不思議とお喋りのネタが涌き出て楽しくお喋りができる。二人は何度も笑い、喋った。
 そうしているうちに時間と飲み物が進み、テレビも面白くなくなってくる。そして、買ってきた酒も食べ物もずいぶんと少なくなる。

「……ふう」

 彼女が一つ溜息をつく。そして、軽く火照った顔に手をやってちらりと彼を見た。

「……シャワー、借りてもいい? ちょっと……汗かいちゃった」
「あ、うん。いいよ……タオルとか用意しておくよ」

 彼がクローゼットを開ける為に背を向けたと同時、彼女はそそっとユニットバスに入り、ばっと服を脱ぎ出した。

(……結局どうだったんだろうなあ……)

 靴下を脱ぎ、セーターを脱ぎ、アンダーウェアのシャツも脱ぐ。ドアを僅かに開けてぽんぽんと一枚一枚着ていた物を外に落としていく。

(……私以外の女の子を見るって事はなかったし、ロングブーツ履いた女の子も見なかった)

 後ろ手に回し、つっとブラのホックを外す。緩んだブラをさっと引き抜くように外してそっと落したセーターの上に落す。

(でも、ロングブーツは一生懸命見ていた……やっぱり私よりもロングブーツが好きなのかなあ……私は好きなロングブーツを履くだけのマネキンみたいな物で……)

 ベルトを緩め、さっと一気にチノパンを下ろす。足からチノパンを抜いて日常ではあまり穿かないピンクのブラと揃いのパンティーをゆっくりと脱いでいく。

(でも、ロングブーツのない彼の家に行きたいって言ったら嫌がらずに行った……やっぱりロングブーツがなくてもいいの?)

 脱いだチノパンとパンティもぽん、と外へ落すとばたん、と扉を閉める。バスタブに入ってシャワーカーテンを閉め、シャワーを少し高めについたホルダーへと差し込んだ。

(……結局、わかんないな……)

 蛇口を開いてシャーっとシャワーからのお湯を浴びる。木枯しに巻き上げられた砂で埃っぽくなった体を洗い流し、冷えた髪を暖かく濡れ染めていく。
 掻き揚げるように髪を何度か梳き、少々小振りな乳房を撫でる。

(……でもな……今日、私よりもずっといい体したロングブーツの女の子いたし……あんなのと比べられたら……私……)

 お湯が流れ落ちる乳房の尾根。分水嶺を伝って手は一応にくびれたお腹を通過、下腹部に突如現われる薄めの林に行く。シャワーの流れに濡れ、べったりと肌にまとわり着いている。
 不安が広がりつつある心に彼女は背中を押されるように彼女の右手がそっと、茂みを越えてその奥の谷間へと伸びる。

「……はあ……あんっ……」

 目を閉じて、流れ落ちるお湯の音を聞きながら一つ溜息をついた、その時。
 コンコン。
 ユニットバスのドアがノックされた。彼女ははっとして慌ててふるふると首を横に振るとシャワーカーテン越しにドアの方を見た。

「な、何?」
「バスタオル置いておくよ」

 彼の声。当然だ。他に彼しかいないのだから。しかし、その声を聞いて彼女はなぜかほっとした物を感じた。

「うん……ありがと……」
「……ねえ、入っても、いい?」

 そんな声と同時、彼女の返事も待たずにがちゃっとドアの開く音がした。

「えっ! あ、えっと……」

 彼女がまごつき、彼の声をしっかり聞こうと蛇口のカランを閉めようとカーテンから手を出す。すると、そっとその手にお湯にはない温もりが入った。

「……タオル、持ってきたよ。洗ってあげる」

 ひょいとシャワーカーテンの隙間から彼が笑顔を見せて顔を出した。鎖骨や肩が剥き出しているのを見るとすでに全て脱いでいるようだった。

「……うん」

 彼女がそっと彼を誘うように手をシャワーカーテンの中へと入れた。
 狭いバスタブの中、シャワーを浴びてたたずむ二人。

「今日は随分歩いたしね……疲れた?」
「ううん……」

 彼女はそっと彼に抱きつく。乳房が彼の濡れた胸板の下辺りに張りつき、そっと顔を埋める。
 シャワーのお湯がぱたぱたと当たる彼女の背中を洗い流すように優しく彼の両手が回り、さすっている。

「……ねえ」

 彼女は離さないといいたげにぎゅうっと抱き付いていた。丁度彼女の茂み辺りにいる彼の息子がむくむくとその身を大きくさせている事が肌で感じられる。

「何?」
「……私の事……好き?」
「え」

 彼がきょとんとした顔を見せたのが見ないでもわかる。そんな返事を聞いて彼女は濡れたままの顔を彼に向けた。

「……ごめんね……なんだか……不安になって……」
「……不安にさせるような事を僕がしたみたいだね……ごめん……好きだよ……大好きだよ」

 彼の顔が申し訳なさげに曇る。彼女は小さく首を横に振る。

「ありがとう……」
「ねえ、口の中も洗わないと……ね」

 彼はそう言うと右手をそっと彼女の顎にやり、僅かに自分の方へと固定させる。
 彼女はすうっと吸い込まれるように目を閉じ、唇を彼へと託した。彼はゆっくりと顔を寄せて唇を重ね合わせた。

「ん……んん……」

 彼女の口の中で彼と彼女の舌が抱き合っている。お互いの一番美味な部分を求め合うように舌が絡み合わされていた。
 そして、彼の手が彼女の優美なヒップの稜線を、彼女の手が立派に成長した彼の息子へと伸びていった。

 シャワーが――と、言うよりもほとんど前戯だったが――終わり、二人は適当に肌をバスタオルで拭うとなだれ込むようにベッドへと倒れた。
 ロングブーツを履いていない彼女だったが、彼は変わらずに愛撫やキス、クンニと彼女へ愛情に満ちた性行為をした。
 ただし、ロングブーツがない為に脚を舐めるやヨダレを垂らした自分の息子を彼女の脚に擦り付けるなどいつもの行動はなかったが。
 彼女はうねうねと弄ばれ、ぐんぐんと突き上げられ、くちゃくちゃと堪能されて幸せを感じて声を上げた。

 ――しかし、何かいつもと違う。

 幸せを感じて快感を得て、頭が真っ白になりながら声を上げて。いつも彼と寝た時と同じはずなのに、何かが違う。
 物足りない? まだ何か彼へ疑問を感じている?
 夢中で彼と繋がりながらもなぜかそんな事が彼女のどこか片隅に貼り付いていた。
 そうして、彼との熱くもどこか涼しい夜は過ぎていった。

「……あの……ねえ」

 朝日差し込む彼の部屋。ベッドで横になる二人。彼がそっと彼女の耳元に囁くように訊いた。

「……何?」
「シャワーの時に……不安になってたって言ってたけど……僕、なにかしていたかな? もし、していたら直すから……」

 この優しい気遣い。つん、と彼女の心に何か鋭利な物がつきつけられたような気がした。

「……ううん……私の思い過ぎだけど……ね……」

 一つ、浅い溜息をついて何ともいえぬ疲労感を覚えながら彼女はちらっと彼を見て抱えていた彼への不安を口にした。
 ロングブーツの方が私よりも大切で好きなんじゃないか、私よりもいい体のロングブーツを履いた女が現われたらそちらに行くんじゃないか……。
 一通り、それを聞いた彼は申し訳なさげに小さな吐息を漏らした。

「……そっか……そんなに心配させてたんだ……ごめんね」
「ううん……でもロングブーツがなくても抱いてくれたし……私の方が勝手に疑っていたみたいだったから……」

 優しい彼の言葉や気持ちに疑っていた自分が情けなく感じたように一つ、溜息をついた。

「……実はね」

 そっと彼女のご機嫌を取ろうとするようにその髪を彼が撫でる。

「僕は……ロングブーツその物が好きだったんだ。履いている人なんか誰でもいい。好きな人はロングブーツを履く人ってね」

 えっ。
 彼女が軽い驚きの顔を見せて彼を見る。彼は申し訳なさそうに、しかしもう終わった事と言いたげな軽い笑みを見せていた。

「でも、君と出会ってから……全部が変わった。可愛くて綺麗で……ロングブーツがあってもなくても関係ない、僕の全てを賭けれる女の子と出会えて……だから、君以外の女の子がロングブーツを履いて来ても……何も思わない」
「…………」

 じっとすぐそばにある彼の目を見つめる。彼も目を背けたりせずに真っ直ぐ彼女を見ている。
 彼の目を見ながら彼女はつっと彼の胸に人差し指を当て、つつっと指の腹で撫でた。

「……でも、デートの時、ロングブーツをよく見てたし、ショップにも行ってたじゃない」
「それは」

 どぎまぎするかと思いきや、彼は余裕の笑みを見せた。

「君に似合うロングブーツを……探していたんだ。可愛い君がさらに可愛く、魅力的になれるような物がないかってね。なくても十分に魅力的なんだけど……その上にロングブーツを履いたらもっと魅力的になると思うんだ」

 つん、と彼が彼女の鼻の頭を押してふふっと笑う。

「ロングブーツを履いた女の子には興味はないし、ロングブーツだけにも何も思わない。僕が一番好きなのは……ロングブーツを履いた、君なんだよ」
「……ありがとう」

 少し照れ気味の笑顔を彼女が見せる。そんな顔に彼の顔が覆い被さった。

「ん……」

 次の瞬間、濃厚なキス。ぎゅうっと互いを抱き締めながら唇をむさぼり合う。

(ごめんね)

 こんなにも思っている彼を疑っていた。その事に彼女は少し贖罪をしなきゃな、と思った。
 そして、それはどうすればいいのか、また、彼に抱かれたのに何か足りないと思っていた原因。
 それらを一度に解決する術を彼女は見出していた。
 しかし、それは置いておいて。
 今、彼女はともかく、彼と一緒にいる時を楽しむだけだった。


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