遅咲きのロングブーツ
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「お待たせ、待った?」

 僕には付き合って半年の彼女がいる。
 彼女は誰もが振り向く美人、という事はなく、かと言ってブサイクというところでもない。まあ、普通かな。
 
 そう言うと謙遜しているとか嫌味っぽいと言う人もいるかもしれない。
 卒業アルバムを開いて「あ、こんな子いたなあ」と思うような地味な女子ってクラスに必ず一人はいたと思う。彼女はまさにそんなタイプ。
 同窓会に行ってフルネームを覚えている男子が皆無だった事があるって笑いながら言ってたっけ。
 そう、彼氏である僕が言ってはいけないけど、彼女は地味。顔立ちに特徴が余りなくて、髪を染める事はなく、化粧も濃いと言う事もなく。よく言えば飾り気がない。

 でも、僕はそんな所が好き。カナブンみたいにぎんぎらぎんに飾った女の子よりも彼女のような飾り気のない、シンプルな方が好き。その方が自分で勝負していると思うから。
 いつもの待ち合わせ場所で彼女の声を聞いて、僕は振り返って彼女を見た。

「ううん、今来た所……?」

 そして、驚いた。
 いつもなら半袖すら着ず、あまり肌を出すファッションはしない彼女。ところが、今日はキャミソールにサンダルとファッション雑誌からそのまま抜け出てきたような格好だった。

「え……どうしたの? 今日は随分……」
「可愛い? 夏だからいいかなあって」

 彼女がころん、と笑う。僕は正直戸惑った。
 彼女がこんな格好をするとは思わなかった。そして、そんな彼女に普通に「可愛いよ」と言うありきたりの誉め言葉だけをかけてもいいのか。
 もっと他に、なにか気の効いた事を言わないといけないのではないか。
 しかし、戸惑っているのは僕だけじゃなく彼女もそうみたいだった。ころんとした笑みを見せているがその笑みに緊張感が走り、僕の返事に注目している。そんな感じがした。

「……うん、似合ってるよ。可愛い」
「本当っ? よかった……。ちょっと……冒険したんだ……」

 結局ありきたりの言葉しか出てこなかった。僕は自分の語彙の貧弱さを呪った。
 しかし、彼女にはそれで十分のようだった。ほっと安堵の息をついてにっこり笑うと僕の手を取った。

「ねえ、今日はどこ行く?」
「そうだなあ……映画に行く? いつもそうだけど……」
「うん。そうしよう。面白い映画やっているといいな……」

 彼女とのデートは大抵決まっていた。
 待ち合わせ場所で待ち合わせて、まずは映画。
 そしてランチの後でデパートやショップをぶらぶら回り、カフェでコーヒー片手にお喋り。
 その後、ゲームセンターに行ったり、他のデパートに寄って、その後時間が許せばディナーと一緒に軽く飲んで、酔い覚ましに駅まで歩いてそこで別れる。

 付き合って半年。ディナーの後の続きはまだ一度もない。そりゃキスくらいならある。しかし、そこまで。それ以上はない。
 友人からは遅いだの、晩生すぎるだの、彼女に立たないのかだのたまに病人のような扱いを受ける。
 しかし、そんな雰囲気じゃないと言うか、感触じゃないと言うか。盛り上がってわーっ! と言う風にはなぜかならない。
 もちろん、彼女と一緒にいると立つ時もある。彼女に女の子を感じてしっかりと体は反応をしているのは確実に言える。

 じゃあなにか。遠慮? それはないと思う。彼女とは何でも喋り、何でもやった。それ以外は。遠慮する必要もないし、する必要もないし。
 それに、彼女が求めている素振りもないと言う事が大きい。そう、遠慮じゃなくて、ちょっとした恐れかもしれない。
 求めてもいない彼女に求めた瞬間、今の関係が崩れるのじゃないか。僕を嫌いになるのじゃないか――。

 そして、今日も同じコースを同じようにたどるデート。
 マンネリで飽きているって事はない。見る映画も違えば喋る内容も違う。そんな微妙な変化だけでも楽しい。彼女と二人でいる事。それだけでいい。
 でも、このままじゃいけないかなあとも思う。
 そんな事を考えながら今日も同じコースを辿る。
 映画を見て、ランチをやっているイタリアンの店でランチを食べ、デパートで夏物や水着などを見て、カフェで一休み。
 そこで学校の事とか最近あった面白い事、テレビの事など他愛のない事をなんかをお喋り。
 そしてまた違うデパートをぶらぶらしているうちに、夕方。料理の美味しい居酒屋で夕食と軽くお酒。
 そうしているうちに夜も深まる。軽く酔った僕と彼女は夏には早い、まだ少し涼しい夜の街を歩いて駅に向かった。

 その間もお喋りは続く。その道の途中、ラブホテル街に繋がる脇道もあるのだが、視線をちらりと向ける事はあっても足をそちらに向ける事は、ない。
 そのままそこを素通りして、何事もなく駅に到着。この間ずっと手は繋いでいる。彼女の温もりをその手に感じ続けていた。しかし、それ以上はどうしても踏み出せない。
 駅の改札口につくと、電車の時間が合わずその前で電車の時間までお喋りする事もまた多かった。
 今日も電車の時間まで30分ほどあり、僕と彼女は柱にもたれて手を繋いだまま、お喋りをしていた。

「今日は楽しかった?」
「うん。あそこの新メニューもよかったしね」

 彼女は笑顔を見せてはいるがどことなくもの足りげに見えた。いや、それは男のエゴだろう。
 本当は一緒に夜も過ごしたいなんて思っている。それは男側の勝手な妄想や思い込み。そんな都合よく女の子ができているはずがないんだから。

「……ねえ」

 お喋りの流れが一瞬途切れた時、彼女が少し訊き難そうに訊いてきた。

「何?」
「今日の私の格好だけど……本当に似合ってる?」
「え? うん。似合ってるよ……」

 いつも通りのデート。しかし、彼女の格好だけはいつもと違っていた。他愛のないおしゃべりの間、彼女は何度も僕に今日のファッションが似合っているかどうかを訊いて来ていた。
 僕は彼女を安心させようとにっこり、笑って見せた。

「そう……イメージを変えようと思ったんだけど……変わってるように見える?」
「うん」

 本当は余り変わって欲しくないんだけどなあ。
 でも、彼女が変わりたいと思っているんだ。応援しないと。
 僕が返事をすると彼女は軽く笑顔を見せて頷いた。

「そう……」

 何か言いたげなようにも見えたが何を言いたいのか僕にはわからない。
 少し、沈黙が流れる。彼女といる時は一瞬の沈黙も相当に重く感じる。
 僕はふと、視線を彼女からそらした。

「…………!」

 その瞬間、僕は目の前を行くある人に集中を向けた。
 こっこっ、とリズミカルにピンヒールを響かせて闊歩する一人の女性。はっきり言って僕好みの女性じゃない派手めで少々ケバい女性。
 しかし、その足下だけは別だった。
 その女性は膝を越えるオーバーニーのブーツを履いていた。今は真冬じゃない。6月も末だと言う時期なのに。
 それどころか、真冬にもこんなブーツを履いている女性などそうは見かけない。
 僕は唖然と遠ざかるオーバーニーの女性を見つめていた。

「……すごい……ね」

 ぽつりと隣にいる彼女が言った。僕ははっとして少し慌てて彼女を見た。

「あ、ああ。もうすぐ7月って言うのになあ」
「本当……あんなの履くのって結構勇気いるだろうなあ……足が太かったら無理だし……」

 彼女の横顔がどことなく寂しげに見える。いけない、少し傷付けたか?

「……お水の人なんじゃない? だからアレは仕事着とか」
「そうかも」

 くすっと彼女が笑う。よかった……。
 僕も薄く笑って彼女の浮かべた笑顔を見た。そして、なぜか胸の高鳴りを感じながら訊いてみた。

「……ねえ、ブーツとかって履く?」
「え?」
「いや、冬に履いてるの、見た事ないし……」

 彼女のロングブーツ姿が見たいなあ。
 そんな事を冬に思っていた事を不意に思い出した。
 彼女は冬になるとずっとパンツルックでスカートにブーツなどまず履いて来ない。ひょっとしたら持ってすらいないんじゃないのだろうか。
 僕が訊くと彼女はきょとんとした顔を見せて首を傾げた。

「うーん……履かないなあ……ロングブーツは持ってるけど……あ、あんなすっごいのじゃないよ! 普通の黒いヤツだけど……」

 普通の黒いヤツ。
 彼女の言葉に僕の胸がどきん、と大きく脈打った。

「ふうん……見てみたいなあ……君のブーツを履いた所」
「えっ?」

 少し驚いたような顔を見せる。僕は小さく笑って首を横に振った。

「いや、いいんだ……持ってるけど履かないって事は履きたくないんだろ?」

 取り繕うように微笑んだ僕。
 そんな僕を彼女はじっと何も言わずに見つめていた。
 その眼差しには何かを見通したいと言うような、何か考察しているかのような、そんな様子があった。

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