バックヤード 〜才能に恋して〜

プロローグ 


「……はあい。今何してた……?」

 女子ロッカールームに入ってドアを閉める。合図とするように携帯電話を取り出してお喋りを始めた。

「……え? 家にいるの? バイトは? ……そう……よかった〜」

 にこっと笑う彼女。彼女は左手に携帯電話を持ったままロッカーを開けて、右手で頭に被った紺色の制帽の鍔を摘んだ。

「じゃあ、晩御飯とかは考えて……ないよね〜。え? ダメっ、何も食べないで!」

 摘んだ制帽をロッカーの中にぽん、と軽く投げ入れて黒い髪留めをささっと外していく。

「何か買っていくから、それまで待ってて……すぐよすぐ。もう勤務終わって今、着替えるところなんだから」

 ばさっとまとまっていた髪が降り、活動服の上に広がる。
 彼女はさっと軽く頭を振って髪を流して右手で軽く梳くと、そのまま耳と肩で携帯電話を挟み込みながら手を活動服のボタンに伸ばした。

「何食べたい……それ困る〜! なんでもいいって! もう、そればっかりじゃないの〜!」

 困った口調だが顔は笑いっぱなし。笑う、と言うよりもにやけていると言った方がいいかもしれない。
 そんな顔のまま、ボタンを外すと素早く携帯電話に再び手を伸ばし、器用に持ち替えながら紺色の活動服を脱いだ。そして、同じようにその下のネクタイを一気に緩め、シャツのボタンも片手で外していった。

「もう、優柔不断なんだからあ〜……何が食べたいの? ……な、何言ってるの〜! 冗談やめてよ〜」

 ぽん、と頬が軽く赤くなると同時にスラックスに手を伸ばし、ベルトを緩め、ホックを外し、ジッパーを下ろした。
 彼女のにやついた顔がさらにとろけ、相当にしまりがなくなっている。
 それにあわせたようにスラックスも引っ掛かりがなくすとん、と床に落ちた。
 彼女はその表情のままでスラックスを拾い上げるとロッカーの中のハンガーに軽くかけた。

「それはあとでよ、あ、と、で。晩御飯には早いんだから〜……んもう……じゃあ、あたしが食べたい物でいい? そう。じゃあ、何か買っていくね」

 彼女の手がボタンだけ外し、肌蹴たようになっているシャツにかかる。
 活動服同様、器用に携帯電話を持ち替えながら袖を抜き、体を包み込んでいた制服を脱いでいく。

「明日のバイトは? ……じゃあ、お酒もOKね……え? ビールあるの? じゃあ、いっか」

 喋りながら制服のシャツは抜け殻となり、だらん、と彼女の手の中で垂れ下がった。

「うん……じゃあ、待っててね。着替えたらすぐにそっちに向かうから……うん……じゃあね……やだあ、私から切れない〜! 一緒に切ろっ、せーの」

 ふと、彼女の顔に寂しさが浮かぶ。それと同時に携帯電話のボタンを押して切った。

「……ほう」

 溜息と言うよりも感嘆の息。余韻を感じているかのように携帯電話を見つめてもう一つ息を吐いた。

「ワルの高校生にもビビられてる婦警さんの見せられない姿ね……」
「のわっ! ……なーんだ愛美(まなみ)じゃん……いつからいたの?」
「あんたと一緒に署に戻ってきたでしょ……ボケるのもほどほどにね、佳苗(かなえ)」

 ぽん、とブラの紐だけが乗る佳苗の肩を愛美が叩いて薄く笑った。
 佳苗は薄い愛美の笑みを見ながら少し不機嫌そうに唇を突き出してぷいっと彼女から顔を背けた。

「ボケるって……私は真剣なのよ……」
「真剣も通り過ぎると傍目からは可笑しく見えるもんよ」

 愛美がもそもそと制服のボタンを外し始める。

「一緒に戻ってきたのに全然着替えてなかったの?」
「こんなに面白い佳苗をじっくりと見ていたかったしね〜」

 にやにやと笑いながらボタンを手際よく外し、ばっとシャツを体から解放させる。

「それよか、佳苗もなんか着たら? 待ってるんでしょ? オトコ」
「あ、そうだ! もう! 着替えの邪魔しないでよっ!」

 佳苗はシャツをハンガーに掛けるとロッカーに押し込んだ。そして、私服を引っ張り出し、いそいそと着替えを始める。
 そんな彼女を見ながら愛美は浅く息を吐き、シャツをハンガーにかけると、にやにやした視線を佳苗に向けた。

「しっかしねえ……町で人気の婦警さんが裏でオタクの集まりで捕まえた若い男を自分のそばのアパートに囲ってるってね〜……バレたらどーすんの?」
「その言い方、誤解と偏見に満ち溢れてる」

 不満ありげに頬を膨らませ、佳苗がきっ、と愛美を睨んだ。

「オタクの集まりじゃないの。小説や漫画のオリジナル創作作品の即売会。コスプレとかエッチなのとかそんなのはなくって純粋に表現者として表現したい、って思いが旺盛な才能が集まる場所」
「それを何度も聞くけど理解できないのよね……どこが違うのか」
「オリジナルと二次創作は全然違うのよっ! 原作がない分書いている人の表現力とか才能とかがよく出て……」

 佳苗がオリジナル創作物の素晴らしさなぞを語るが愛美にはどうにも理解できない。
 愛美は佳苗の言葉を適当に聞き流し、彼女の言葉に隙間が出来るの機会を伺った。

「……情熱とかそう言うのも感じられる!」
「そう。で、そこで若い男捕まえたのよね〜……いくつ下だっけ?」
「五つ」
「よーやるわ。逆ナンで年下を引っ張るって」

 愛美の口調が少々呆れ気味。そんなやや嘲り気味の愛美に佳苗のムッとした視線が向く。

「逆ナンなんかじゃないって。あたしはただ望(のぞむ)の作品に惚れて、その才能に恋したのよ」
「はいはい。この間貸してくれたあれね……確かファンタジーだったよね?」
「そう! よかったでしょ〜!」
「ファンタジーってあんまり読まないから良さが私にはわかんなかったけどねえ」

 ぽりぽりと軽く頭を掻きながら愛美はそう言い、Tシャツをさっと被る。佳苗もシャツに袖を通し、ぱぱっとボタンをかけていった。

「別に誰もが良さをわからなくてもいいんだけどね〜。あたしだけが理解しててもいいくらい」
「はいはい……で、作品を通じてお友達とかになるのは別にいいけど、だからって管内のアパートに住まわせて囲わなくても」
「それが一番の誤解。こっちに引っ越して来たのは望が決めて自分で引っ越してきたの」
「? そうなの?」

 制服のスラックスを下ろし、デニムのパンツを手にして今にも穿こうとしていた愛美が軽く驚いた表情を見せる。
 すると佳苗のムッとしていた顔が急にでれーっとなった。

「そうなの〜あたしはね、別にいいって言ったんだけどね〜でもねでもね、『警察って仕事が不規則だから近くの方が会いやすいから』って〜! ああん、愛されてるわ〜あたし」
「脳の芯まで幸せね……じゃあ、住まわせて囲っている訳じゃあないんだ」
「家賃も生活費も望がバイトで稼いで払ってる。まあ、デートの時とか夕飯をおごったりくらいはするけどね〜でも、望は大学生なんだし、社会人が大学生と付き合うとそれくらいは普通でしょ?」
「まあね……でもまあ、そこまでぞっこんなんだから半分囲ってるようなもんだけど」

 愛美がデニムを穿き、ベルトをきゅっと締める。
 隣で佳苗も夏のふんわりとしたスカートを穿いて鏡に自分の顔を映すとにやあっと笑った。

「そっかあ完全に囲っちゃうってのもいいかも……生活費をぜーんぶあたしが面倒見て、望には作品をたくさん書いてもらって〜それを私が地球で一番最初に読んで〜」
「……気は確か?」
「できるもんなら、よ。公務員の月給でそんな事できる訳ないんだし」

 佳苗は悪戯っぽく笑うとさっと手櫛で髪を撫で、ロッカーの中から自分のバッグを取り出した。

「お遊びはこれくらい。早く行かなきゃ望、お腹すかせちゃうから〜。じゃあね、愛美も素敵な彼氏を見つけるのよ〜」
「ハマるのもほどほどにね。男なんて裏でどんな顔をしてるかわかんないんだし」
「望にはそんな事ないって〜じゃあね、お疲れさま〜」

 うきうきと飛び跳ねるような軽い足取りで佳苗が更衣室から出て行った。
 一人残された愛美はふうと一つ溜息をつくとロッカーから小さめのバッグを取り出した。

「『バカップル婦警さん』なーんてのを佳苗の男が書いたら絶対に読むんだけどな〜」

 ふふっと小さく笑って愛美はバッグを掴んで気だるそうに更衣室を後にした。

 佳苗が更衣室を出て行ってから数十分後。

「これだけあれば望にも栄養が付くよね〜……望って放っておくとお菓子ばーっかり食べてるし」

 軽い足取りで2階建てのアパートの階段を佳苗が上がっていた。
 向かう部屋は2階の一番奥。階段から五部屋分の程度の距離だが妙に長く感じる。

「……と」

 佳苗が部屋の前に立ち、そっとインターホンを押した。

「…………」

 インターホンのぴんぽーん、と言う音が響き、その直後、扉の向こうからばたばたと足音が聞こえてくる。
 佳苗はドアの前で近付いてくる足音を聞きながら、そわそわとそこに立っている。
 がちゃり、と鍵が外れる音。その直後に扉がさっと開いた。

「はあい。ごめんね望。ちょっと遅れて」
「ううん、そんなに待ってないよ」

 扉の向こうから細面でよく言えば繊細、悪く言えば気の弱そうな若い男、望が出てきた。
 佳苗がにこっと彼に笑いかけると望も少々恥ずかしそうに笑う。
 笑みを交わしながら佳苗は開いた扉から中に入るとそっとドアを閉めた。

「……カナ」
「何……んっ……」

 ドアを閉めて狭い玄関が薄暗い闇に包まれた。その瞬間、望は佳苗をきゅっと抱き寄せ、その唇を重ね合わせた。
 両手に持っていたレジ袋をどさっと足元に落とし、佳苗は静かに目を閉じる。
 そして、応えるように彼の背に手を回し、顔を軽く揺らし、望の唇の形を確認するようにその唇を合わせた。

「ん……んん……」

 強く、熱く唇が重ね合わせられ、どちらも離れようとはしない。

「んん……ん……んっ!」

 しっかりと結びつき続けて数十秒。佳苗のくぐもった声が高くなった。
 彼女の口にするっと望の舌が捻じ込まれてきたのだ。
 佳苗は望の背中に回した腕をきゅっと締めて彼を自分の胸の中に引き寄せた。

「ん……んんっ!」

 佳苗の口の中に入ってきた望の舌は求めるように彼女の口の中で蠢く。
 佳苗はその舌に自分の舌を絡ませ始めた。
 2人の口の間でくちゃちゅっとみだらな音が立ち、互いを貪る。

「ん……んふっ…………ふう……」

 佳苗と望の鼻から熱く荒い息が漏れる。
 互いの息遣い、舌の動き、胸の鼓動。
 それらを感じているうちに二人の体温は上がり、その顔も高潮していく。

「んふう……んふう……んんんっ!」

 次の瞬間、佳苗の息遣いがさらに荒くなり、強くなった。

「んはっ!」

 そして、彼女から唇を彼から離した。

「……はあ……んもう……」

 顔を離した佳苗が薄く笑い、望の背に回した手をそっと自分の胸元に回した。

「こらあ……ダメでしょう……お帰りのキスは軽くって言ってるのに……舌までは許しちゃうけど……これはまだ早い……」

 佳苗の左胸には望の右手があった。
 ふっくらと膨らみ、シャツの上からでも分かるその乳房を望の右手が覆い、少しその指を沈ませていた。
 佳苗は彼の手首を軽く掴み、そっと自分の胸から外させた。

「あ、ごめん……あの……つい……」
「我慢できなかったのはいいけど……順番ってあるからね……今ここでスイッチ入っちゃったら……せっかく買ってきたご飯も食べられなくなっちゃう」
「……うん」

 申し訳なさそうにうなだれる望。
 佳苗はふふっと笑い、きゅっともう一度彼を抱きしめた。

「シャワー入ってご飯食べてから、ね? 子供じゃないから、我慢できるでしょ?」
「……うん……ねえ……もう一度やり直せる?」

 望が訊く。
 佳苗はくすっと笑ったままで返事も頷きもしない。代わりにそっと目を閉じ、唇を彼に差し出した。

「……う……ん……」

 その唇から彼の温もりを感じるまでに時間は掛からなかった。望もきゅっと佳苗を抱きしめて唇を合わせた。

(早く……シャワーとご飯を済ませなきゃ……ね)

 閉じたまぶたの闇の中、佳苗は望を感じながらそう思った。


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