婦人警官 制服の為に ―婦人警官開放―
それからしばらく、街は平穏その物となった。
事件らしい事件もなく、警邏で管内を回ってもせいぜい交通違反、駐車違反やスピード違反のような毎日よくある違反くらいしかぶつからなかった。
「……今日も何もなかったわね」
そんな静かな一日の勤務が終わり、真理子が女子更衣室で着替えを始めた。
「……はい。何もない日の方がいいですけど……」
その隣で優華もほっと一息つきながら制服を脱ぎ始めた。彼女にとって様々な事がありすぎ、逆に何もない日が心底嬉しく、幸せなように感じていた。だが、それと同時に何もない日は薄気味悪ささえ感じていたが。
二人はほぼ同時に上着を脱ぎ、ネクタイをほどき、スカートのホックに手をかけた。
「……ねえ、優華」
そんな時、真理子がふと周りを見てそっと話し掛けた。
「はい?」
「……あれから……あいつらからメールとか来た?」
「……いいえ」
優華は制服のベルトから下がった携帯電話を手にし、そっと開いた。
勤務が終わると必ずする行為。前田からメールが入っていないか、それを確認する為だった。液晶画面に浮かんだ物は「メール受信あり」の文字ではなくいつもの待ち受け画面。メールや着信はないようだった。
優華は携帯電話を閉めると私服のコートのポケットに入れた。
「もう一週間くらい経つのよね……あれから……」
「はい……」
二人はそんな事を言いながらスカートを脱ぎ、ワイシャツのボタンに手をかけた。
「どこかに逃げちゃったのかな?」
「さあ……」
第一ボタンから下へとボタンが外され優華は白色の、真理子は水色のブラが顔を出す。
優華は鼻から息を一つ抜き、一番下のボタンを外した。
「でも……逃げても写真は全部あいつらが持っているんですから……」
「事態に変わりはないか……このまま何の連絡もなくなればいいのにね」
「……それは……」
しゅっとワイシャツの袖から左、右の順で腕を抜き、脱いだワイシャツをハンガーに掛ける。代りに私服のブラウスを手にしてゆっくりとハンガーから外していった。
優華はブラウスに手を入れようとしたその時、ふとその手を止め、さっと顔に陰を帯びさせた。
「逆に……怖いです……いつあの写真が流れるかわからないのが……とても怖くて……」
「……そっか……結局あいつらを逮捕してデジカメを物にしないとダメか……」
「……はい……でも、あいつらの事を上に報告したら……」
「写真を流される……流される事覚悟で逮捕を期待するか、黙っているか。どっちが優華にとってリスキーか考えたら……」
悔しさ、婦人警察官の自尊心を傷付けられた屈辱、それらを考えてもここは黙っていた方が歪な形だが丸く収まる。真理子はワイシャツを脱ぎ、ハイネックのカットソーをさっと着た。
優華はブラウスのボタンをかけながら一つ溜息を付いた。
「私はいいんです。私は……全部自分の不注意から起きた事ですから……でも、先輩も写真を……」
「あたしの方がどうでもいいって。優華の叔父さんとの一件で飛ばされて昇進も未来もなんにもないんだから。それより、優華はこれからまだ何年も警察にいるんでしょ? 先々を考えたら変な事、ない方がいいに決まってる」
「……そうですけど……でも……」
「それだけじゃない。警察辞めたって一度写真が流れたらどこでそれが優華を傷付けるかわかんないじゃない。再就職先や結婚した後にレイプされたなんて知れたら……」
「それは先輩も……」
「だから、あたしはどうでもいいんだって。もう汚れ切ってるんだから。どこに流されても怖くない」
「そんな……」
ブラウスを着込み、グレーのロングスカートを穿いた優華が切なそうに呟く。そんな彼女に黒のストレッチパンツを穿いた真理子がそっと微笑んだ。
「とにかく、優華の為に写真の流出だけは阻止しないと。今度連絡があったらしっかり伝えなきゃ」
「…………」
優華は黙って頷き、フードの付いたコートをゆっくり着込んでいった。
まだ気にかかっているのかな?
優華の横顔を見ながら真理子はそう思った。そして黒のレザージャケットを着てベルトを結び締めるとぽん、と優華の肩を軽く叩いた。
「……優華の写真の消去の為だったらあたしはなんでもする覚悟はできてる。あたしはこれ以上絶対に優華を傷付けさせないから」
「……先輩……」
優華はそっと真理子に歩み寄り頭を彼女の胸に埋めた。
ジャケットの皮がひんやりと優華の頬を冷やす。そんな彼女の頭を真理子は撫でた。
「……今まで守れなかったんだから……こんなに可愛い優華を……ずっと一緒よ……」
「…………はい……」
頬の当たる皮がほんのりと温もりを持ったように優華は感じた。
二人は警察署を出ると寄り道せずに真っ直ぐ女子寮に帰って行った。
「先輩、私の部屋で晩ご飯食べませんか?」
「え? 悪いよ」
「いいんです。鍋の用意があるから……」
「そっか、一人で鍋って淋しいもんねえ」
そんな事を話しながら二人は署からそれほど離れていない所に建つワンルームマンションタイプの女子寮へと入っていった。
「……?」
その入口で優華は自分の部屋の郵便受けを覗いた。するとその中に定型外の茶封筒が一通入っていた。その封筒には会社名などは印刷されてなく、宛先と切手はあったが差出人はどこにも書いてなかった。
「……なんだろう?」
「優華も入ってた?」
「え?」
真理子の声に優華は彼女の方を振り返った。すると真理子の手にも同じ大きさの封筒があった。真理子はちらっと他の部屋の郵便受けを覗くと手にした封筒をさすった。
「何か硬くて薄い物が入ってる……優華とあたしだけに届いているのを見ると……」
「まさか……」
さっと優華の顔色が失せる。真理子は一つ頷くと辺りをきょろきょろと窺い、優華を守るようにそのそばに寄った。
「部屋に早く入ろう。どこかで見てるかもしれないんだし」
二人は急いで優華の部屋に入った。
「……中は……」
優華は電気をつけるとコートも脱がずに封筒の封をびりびりと乱暴に開け、こたつの上に封筒の中身を出した。
バタッ、カツッ。
封筒からは薄っぺらいプラスチックのケースと少し大きめの記念切手サイズのやはり薄いプラスチックの板が出てきた。そして、最後に遅れて二つ折りの紙が滑り降りてきた。
「……CD-Rとメモリカード……」
「あたしも一緒よ。手紙はついてないけど」
ジャケットのベルトを解いた真理子が優華の隣に座り、自分に届いた封筒の中身を同じようにこたつの上に出した。そこには同じブランドのCD-Rとメモリカードが姿を表した。
それを見た優華は少しかじかむ手で慌てて手紙を広げた。
「……『久保寺巡査。遊びは終わりました。これから街を出ます。恐らく二度とこの街には足を踏み入れる事はないでしょうし、久保寺巡査に会う事もないでしょう。無論、桜井巡査にも。そこで今まで撮ったデジカメ画像を全て二人にさし上げます。消去し、廃棄するもよし、二人でのプレイに使うもよし。どうにでも使ってください。久保寺巡査、桜井巡査、これからも婦人警官として活躍できるように祈っています 前田』……」
一方的な終結宣言だった。優華は手紙を読み終えると気が抜けたようにふうと一つ息をつき、がくっと全身から力が抜けた。
「……よかった……」
ぽつりと力の抜けた口から言葉がこぼれる。
「そうでもないかも」
しかし、すぐに真理子が優華の言葉を制した。
「えっ?」
「メモリカードのデータがパソコンに取り込まれているかもしれない……もうあいつらが動かない事が本当だとすると、確かにこれ以上新しい写真は増える事はない。でも、まだ写真は残ってるから……事態は根本的に解決してない……」
「そんな……」
一瞬、安堵の表情を見せた優華だが真理子の言葉を聞いてその顔が強張った。真理子はこくっと小さく頷き、こたつの上のCD-Rを手にし、悔しそうにきゅっと下唇を噛んだ。
「多分……優華やあたしが言わない……ううん、言えないって事知ってて送りつけて来たのよ……レイプの事を外に出すリスクよりも黙っていた方が得なように縛り付けたままで……くやしいけど……あいつらの考えているとおりにしか動けないのよ……」
「…………」
囁くような真理子の言葉に優華もきゅっと下唇を噛んだ。
(婦人警官なのに……あんなヤツらの思う壷になりっぱなしなんて……)
レイプに次ぐレイプ、屈辱に継ぐ屈辱でズタズタにされた優華の婦人警察官としての自尊心と使命感。それがまた彼女の中で僅かに光りだそうとしていた。
キキッ。
深夜となった町の中。質屋の裏口に止まる車の後ろにもう一台車が止まった。
コンコン。
後ろに止まった車から人が降り、吉田の乗る車の窓をノックした。
「あ、前田さん」
その男は前田だった。吉田は窓を開け、ひょいと顔を外に出した。
「どうだ?」
「大体掴めてきました。何時に最後の社員が帰るかとか警備会社の巡回はあるか、警察がどんな間隔でパトロールするか、バッチリです。で、いつやるんで?」
吉田がニヤッと笑って訊いて来た。
早く実行に移したい、早く金を手に入れたい。
はち切れんばかりのやる気がその笑みに浮かんでいる様だった。前田はそんな吉田に慌てるなとばかりに冷静な顔でちらっと車のトランクの方に視線をやった。
「明日の夜だ。で、トランクを開けてくれないか?」
「? 何でトランクを?」
「明日使う道具を入れておく。それが終わればそのままこの町から離れるからアジトを引き払ったんだ」
「なるほど。じゃ」
吉田は座席の下にあるトランクを開けるレバーを引いた。
トランクが開き、松永であろうもう一人の男が荷物をトランクに入れていく。重さがあるのか荷物がトランクに入る度に車は縦に揺れた。
「……この町とおさらばですか」
「……不満か?」
吉田の様子に前田が聞くとへへっと軽く笑って頷いた。
「ええ。優華ちゃんや真理子ちゃんとお別れですから……あんなにいい具合の女、しかもヤリ放題の婦警なんて他にいませんから……」
「…………次の街でまた婦警を探せばいい……それと、これだ」
前田が車内に中身の入ったコンビニのビニール袋を入れた。
「見張りも今日までだ。飲んで食ってしっかり頼むぞ」
「あ、ありがとうございます」
「さ、寒いし腹が減ってるんだな……」
吉田が受取ったビニール袋を野村がすぐに奪い取り、中のパンを引っ掴んだ。
「おい、がっつくなって……」
「……なあ、トランクに必要な物やアジトにあった物が入ってるから、もし警察に職務質問とかされたら……」
「わかってますって。逃げればいいんでしょ? 心配性ですねえ、前田さん。大体、今日はもう警察は回ってこないんですし」
「そうか……じゃ、頼むぞ」
吉田と野村を一瞥して前田はそっと車から離れた。それと同時、車のトランクが閉められ、松永が乗って来た車に乗り込んだ。
その後、ゆっくりと前田は後ろに付けた車に乗り込み、静々と車を発進させた。
「……全部積み込ませたか?」
車が走り出してしばらく、ハンドルを握る前田が助手席の松永に訊いた。
「……言われた通りに。蓋も緩めにしておいたし……」
「そうか……三十分もあれば差し入れは全部飲んで食い終わるだろうな」
「野村がいるから、もっと早く全部食い切ってしまうんじゃ……しかし、上手く乗るんすかねえ?」
「なにが」
「差し入れん中の酒。前田さんが思った通りにちゃんと飲むか……」
「ああ」
くすっと前田が薄く笑う。
「今日は警察が来ないって吉田は頭から決め付けている。しかも今日は冷え込んでいる。エンジン止めて暖房もない中で見張る二人にはウィスキーのミニボトルや焼酎がありがたく見える。それに……」
ちらっと何となく不安げな松永に前田が横目で視線を流した。
「今、あいつは自信を通り越して過信に陥っている。分不相応な自信を持ち過ぎているんだ……分不相応なヤツがわきまえない行動を取れば……絶対に上手く行く」
前田の口元に浮かんだ笑みが大きく、自信に満ちた物に変わった。
その横顔を見ながら松永は息を飲み、そっと彼から視線を逸らした。
ウ〜……ウ〜……
「ん……?」
カンカンカン! ウ〜……
「……なんなの〜こんな夜中に……」
優華の部屋。夕食を食べた後そのまま眠ってしまった優華と真理子がけたたましい外からのサイレンで目を覚ました。真理子が携帯電話の液晶画面を覗き込むと時間は午前三時半。まだ朝にもなっていない。
「……火事……?」
「…………いいじゃない。そんなに近くないみたいだし……もう少し寝よ……」
不安げに起きようとした優華を真理子が止め、二度寝をしようと瞼を閉じた。
優華は遠ざかるサイレンを耳にしながらなぜか不安と変な胸騒ぎを感じつつそっと瞼を閉じた。
「パトカーから逃走していた乗用車が街路樹や信号に衝突しながら横転し爆発、炎上し、この乗っていた二人が焼死体で発見されました」
そして、夜が明けた。二人は仕事に間に合う様にいつもの時間に起き、朝のニュースを見ていた。
「あ、これね。夜中のサイレン」
こんがり焼けた食パンを齧りながら真理子が呟いた。テレビではアナウンサーの顔から現場の映像に切り替わった。
「わ、何これ……」
そこに映し出された映像はとても単独の交通事故とは思えないような物だった。
薙ぎ倒された街路樹や信号、ひっくり返り、燃え尽きて骨組みだけになった車、その炎で溶けた看板、焦げた壁、割れた窓ガラス……。
「本当にこれ単独事故? タンクローリーでもひっくり返ったんじゃない?」
「…………」
優華は黙ったままでじっと映像を見ていた。映像の激しさに唖然としているのか、あるいは流れる情報を漏らさないようにしているのか、とにかくテレビを注視していた。
そんな事故の映像に被せられるようにアナウンサーが事故の情報を伝えた。
「今日、午前三時半頃、市内の真中交差点に猛スピードで入った乗用車がバランスを崩し、沿道の街路樹や信号に衝突しその弾みで対抗車線に飛び出し、そのままビルの外壁に衝突し爆発、炎上しました。焼けた車からは乗っていたと見られる二人の焼死体が発見されましたが、損傷が激しく、警察では現在身元の確認に急いでいます……」
一通りニュースを見聞きした真理子は一つ、溜息をついてもう一口パンにかぶりついた。
「……しかし、事故って爆発ってどれだけスピード出したのよ。よほどの事がない限り車って爆発したりしないもんよ……まあ、パトカーに追いかけられてたって事はやましい物積んでたとかあったからだと思うけど」
「…………」
真理子がそう言っても、ニュースが次のニュースに映っても優華は何か考え込むように黙っていた。黙るだけではなく朝食にも手をつけていなかった。
「どうしたの? 食べないの?」
「……この事故の焼死体……あいつらだったら……」
「え?」
優華の呟きに真理子はパンを食べる手を止めた。
「……身元がわからないほど燃えたのなら……デジカメも全部燃え尽きて……」
「不謹慎だけど、あたしや優華にとって最高の展開ね。でも、焼死体は二人って言ってるからもう二人足りない……そんな事より、早く食べよう。今日も仕事よ仕事」
「はい……」
この二人があいつらであって欲しいと祈っていいものか。
優華は複雑な心情を心の奥に押し込め、さくっとトーストを一口口にした。
事故のニュースから四日が経った。
署内では捜査が続いているようだが、捜査に直接関係のない課にいる二人には話題にも上る事がない一件の事故となっていた。
いつものように警邏をしたり書類整理をしたりといつもの勤務を繰り返す毎日。
その間、前田達からの連絡は全くナシ。本当に死んでしまったのではと思うほど向こうからのアプローチはなかった。
(……このまま……消えていくのかな……)
鳴らない携帯電話をじっと見ながら優華はふとそう思った。
そして事故から一週間経ったある日の事。
「あ、久保寺君に桜井君」
内線電話を取った上司が優華と真理子を呼んだ。
「はい?」
「なんですか」
「君達に会いたいと言う人が来ているそうだ」
上司がそう言ったその瞬間、二人はちらっと視線をぶつけ合った。
――もしかして?
――まさか。
二人の目にはそんなメッセージが乗っている。だが上司はそんな物、気付くはずもなく、ちらっと腕時計に目をやった。
「もう待っているそうだ。さ、早く署長室に行くんだ」
「えっ?」
「は?」
行くように命じられた場所を聞いた瞬間、二人の頭にあった「会いたいと言う人」は同時に消えた。
署長室? なんで?
頭の中にいくつもの疑問符を浮かべながら二人はきょとんと互いの顔を見合った。
コンコン。
疑問を抱えたまま、二人は署長室のドアをノックした。
「入れ」
ドアの向こうからは余り聞き覚えのない男の声。優華の前に守るようにして立つ真理子がそっとドアを開けた。
「桜井真理子巡査、入ります!」
「久保寺優華巡査、入ります!」
二人が順番でそう言い、ぴっと挙手の礼をした。室内に署長の姿はなく、スーツ姿の男が一人、二人に背を向け立っていた。
「……ドアを締め、鍵をかけろ」
男は二人に背を向けたまま、低い声でそう言った。
「……?」
二人は何者かわからない男に次々命令される事や、鍵をかける行動自体を訝しげに思った。しかし、取り敢えずは従った方がいいと優華がドアを締め、鍵も内側から掛けた。
カチャ。
鍵がかかる音が部屋に響くのとほぼ同時、男がさっと振り返った。
「まあ、そこに座れ」
「…………!」
「…………あっ……」
その顔を見た瞬間、優華と真理子は言葉を失い全身が硬直した。
「……どうした? 座らないのか?」
「い、いえ……あの……本部長が先にお座りに……」
真理子が明かに動揺した様子で言った。そう、この男は県警本部長。県内の警察官のトップに立つ男である。
なんでそんな男がこんな所に。いや、来るかもしれないがその時は警察署全体が大騒ぎになるはず。
無論、本部長が来るなんて事、聞いていないし来たとも聞いていない。
硬直する二人に本部長は何も言わずさっとソファに座った。
「これでいいだろ。さ、そこに」
「は、はい……」
真理子と優華は一気に巻き起こった緊張感に体を強張らせながら彼の対面のソファに腰掛けた。ふと、本部長と二人の間にあるテーブルに目をやるとノートパソコンが一台、置いてあった。
もしかして――。
まさか――。
二人の視線が再びぶつかり、メッセージが交換される。
「さて……君達を呼んだのは無論理由がある」
二人のメッセージ交換が終わったのを見計らったタイミングで本部長が口を開いた。
「先週、この管内で大きな交通事故があったの、覚えているな?」
本部長の言葉に二人は黙って頷いた。彼はそっとパソコンに手を伸ばし、こちょこちょとその操作を始めた。
「発見された焼死体はようやく人間と区別がつくほどに焼け、男か女かすらはっきりとわからなかった……まあ、二人とも司法解剖の結果二十代の男って事はわかったがそれ以上はまだ捜査中だ」
「……捜査……」
ぽつっと思わず優華の口から言葉がこぼれた。それにはっと気付いた真理子がさっとテーブルの下で優華の手に自分の手をやった。
「捜査中……あの事故は犯罪だと仰るのですか?」
優華に代るように真理子が本部長に訊いた。彼は真っ直ぐ訊いて来た真理子をちらっと見るとノートパソコンのディスプレイに顔を向けながら一つ頷いた。
「そうだ。鑑識や消防の調べだとあの車にはガソリンが少なくとも数十リットルあったと考えられている。そうでないとあそこまで爆発したり、激しく燃えたりしないそうだ。数十リットルと言えば車の満タン以上の量のガソリンを積んでいた事になる……そんなガソリンを積んだ車が警察車両を見て逃走する、何か事件性がないと考える方がおかしい」
「あの」
ここで初めて優華が本部長に向かって口を開いた。
「なんだね」
「……どうして現場に警察官がいたのですか? あの時間、あの場所は巡邏のコースではないはずですし……」
「通報だ」
「えっ」
二人はほぼ同時に短い驚きの声をあげた。
「『弁天堂質店の裏に不審な男が乗った車がいる』と言う男性からの通報があって、署員が急行したのだ。それで車が逃走、追跡が始まって……ああなった」
「…………」
優華は返事もせずに黙った。何か想像しているのか、あるいは考えを整理しているのか。真理子にはその横顔を見ただけではわからなかった。
本部長はパソコンのマウスを動かす手を止め、二人を正面に見据えた。
「ここからが本題だ。君達にこの事件について聞きたい事がある」
「?」
真理子はきょとんとした顔を見せ、ちらりと隣の優華を見た。
優華は口を真一文字に閉め、視線は心持ち下向きになっている。まるで死刑執行を待つ囚人のようにこの先にあるかも知れぬ破局を待っているかのようだった。
そんな優華を本部長はきっ、と睨むような強い眼差しで見た。
「犯人が逃走中、何か物を沿道の街路樹に投げる様子が追尾の車両に目撃されていた。事故の後、投げられた辺りを捜索して、出てきた物がこれだ」
そう言いながら本部長はビニール袋に入った「物」を取り出し、二人の前に置いた。
「…………!」
「こ、これは……」
それが一部壊れているとは言え、小さなデジカメである事は見た瞬間、二人ともわかった。二人の衝撃を受けたような反応を見た本部長は間髪入れず言葉を続けた。
「中のメモリカードは生きていた。そこにあった画像がこれだ」
そう言うとノートパソコンをくるっと一八〇度回転させ、ディスプレイを二人に向けた。
「あっ…………」
「…………」
ディスプレイに浮かぶ画像一覧。そこには優華や真理子が前田達にレイプされている様子がずらっと並んでいた。
強制排便させられる優華、剃毛される真理子、剃毛する優華、フェラチオをする真理子……婦人警官の制服を着て行われる屈辱的行動の記録。その全てが収められていた。
こんな所で。
真理子は言葉を失い、ちらっと隣の優華を見た。優華は固まったかのように表情を全く変えず、ディスプレイに映る自分の痴態の画像を眺めていた。
二人の反応を見ながら本部長は一つ頷いた。
「……別に君達がレイプされた事を咎める訳ではない。我々の興味はこれだ」
本部長はディスプレイを覗き込み、一枚の写真を選択した。そこにはスカートを捲り上げられ、アンスコから剛毛がはみ出ている真理子の姿があった。しかし、それだけではなく同時に三人の男も映っていた。
前田、松永、野村。ここに映っていないと言う事は撮影したのは吉田。と言う事は前田以外にも別の写真があった。そして、少なくとも二人の焼死体の一人が吉田。
真理子と優華は同時にそう思った。
「この三人の男の中に焼死体の男もいるのでないかとね。あるいは撮影者か……君達はこの四人の男の何か情報を知ってるのではないかとこちらは考えている。名前や特徴……あるいは何か犯罪に荷担したかどうか……」
答えを窺うように本部長は真理子と優華の間で視線を動かした。
真理子はちらちらと優華を見ていた。
自分は別に言っても痛くも何ともない。でも、言ったら捜査が始まり、当然それは前田達気付かれ、写真がバラ撒かれる。それは優華が新たに傷付く事を意味する。
真理子は優華に賭ける事にした。優華の判断に従い、優華と行動を共にする。
真理子がそう思ったその時、本部長がおもむろに口を開いた。
「もし他に写真が存在したとしても安心するんだ。警察上げて写真が出まわらないか監視を強化する。ネットも全てな……そして公務執行妨害と婦女暴行犯として指名手配し、全力で逮捕に向かう。情報を提供してくれれば……逮捕の可能性も上がるのはわかるな? そうだ、情報を言えば君達に悪いようにしない。昇進や配置などで格段に配慮をする」
優華の心配を軽減させるような本部長の言葉。
警察が総動員で二人を守り、これから何もなかったように警察の中にいられる。
格段の配慮、まさにそうとも言える申し出だった。
彼はまず真理子を見た。
「桜井君、何か覚えているかね? 名前や犯罪や……」
「……えっと……うーん……」
考える振りをして何度も何度も優華に視線を送る。
優華、好きなようにして。言うも言わないも全部優華に任せる。
「…………」
優華は真理子が自分に全てを賭けた事を感じていた。感じているのはわかるが全てを言うか言わないか、判断付きかねていた。
前田達の事を洗いざらい言う。すると全警察力が自分達に付く。すると前田達が捕まり前田が撮った写真を回収できるかもしれない。
しかし、あそこまで完璧に婦人警官である自分と真理子を縛り付けるだけの作戦能力を持つ前田。警察の目をかいくぐって写真を流す事くらい、簡単にできるのかも知れない。
逮捕か流失か。喋る事は大博打であると言えた。
シラを切り通す。そうすれば写真は流れる事はない。でも、それでいいのだろうか。
自分は警察官。あんな事をされたとしても警察官である。それがこうして写真を付きつけられて喋るように言われるのは警察官として恥ずべき行為かもしれない。
犯罪を見つければそれに立ち向かう。自分の身を省みずに悪に立ち向かう。それが警察官なんじゃないの?
でも、言わなければ警察官の前に人間である自分は傷付かずに済む。もういつ写真が流されるか怯えずに済む。
前田。
この言葉を言うか、言わないか。
優華の心は激しく揺れた。
「…………」
「…………」
本部長と真理子は黙って優華が口を開くのを待っている。
重く長い沈黙が部屋を支配した。そして、何分、十数分の沈黙の後ゆっくりと優華は顔を上げ、口を開いた。