憧れのロングブーツ T
「はあ……はあ……」
外はしんしんと雪が降り積もり、辺りは白一色に埋め尽くされている。
「……はあ……んく……はあ……」
気温は恐らく一桁。時折吹き抜ける風が当たると氷点下と思えるような寒い夕暮れ時。
そんな雪の白と夕闇の濃紺が包み込む雪の世界の中に小さな灯りがぽつん、と灯る小屋があった。
「……はあ……ああ……お……」
小屋の中、ほのかな明かりの下で一人の若い男が何かを愛しそうに抱きしめていた。
「……んは……ああ……」
彼が抱きしめているのは一足のジョッキーブーツ。
ほのかな明かりの下でもぼんやりとその光沢を湛え、確かな艶を黒革に浮かび上がらせるその美しさは見るものを惑わし、魅了し、そして溺れさせて行く。
そんな世界に二つとない美しいジョッキーブーツを抱きしめ、愛撫し、頬を寄せる彼も溺れている一人だった。
いや、彼以上にこのジョッキーブーツに溺れている者はおるまい。
「……はあ……はあ……」
そっ、と彼の口がジョッキーブーツの筒の口と重なる。唇の先からひんやりとした革の冷たさが走り、本革独特の香りが鼻腔をくすぐる。
きゅっ、と強くロングブーツを抱き締める。
左右のロングブーツが擦れ、本革がしゅっ、とか細くに鳴き、こつんとブーツの底が合わさり小さく鳴いた。
「……はあ……はあ……」
強く抱きしめ、唇と頬を本革に寄せる。
冬の寒さに洗われて冷え切っていた本革がほの温かい温もりを湛えてゆく。
しかし、その温もりは彼の温もりの映った温もり。そして、抱きしめてはいるがそこに手応えはなく、筒はへこっと潰れ中ほどで折れ曲がった。
「お……お嬢様……」
彼の口からこのロングブーツの持ち主がこぼれ、彼の頭の中にその姿が浮かんだ――
夜風に涼しさを感じ始めた夏の終わり。
「明日……帰ります」
薄暗い中、小さな灯りが並ぶ馬小屋。
馬の鼻を鳴らす音と馬糞のむせ返るような臭いが包み込むその中で乗馬服姿の彼女が少し、言いにくそうに言った。
「そ……そうですか……」
彼は彼女に背を向け、その愛馬の背をブラッシングしながら言った。
行かないでください。
彼女に面と向かってそう言いたかったが、言えない。言える立場でもない。言ってどうなる物でもない。
しかし、今振り返って彼女を見てしまったら言ってしまうかもしれない。
言っても叶う事はない、ただ空しさだけが残るだけ。
彼はそんな彼女への想いをかき消すように強く、馬の背にブラシをかけた。
「……お元気で……あ、馬はちゃんと世話をしますからご安心を……来年の夏にいらした時にちゃんと乗れるように……」
「お願い……します」
彼女の小さくもはっきりと聞こえる声。少し、震えているような、少し、つまり気味のような調子。
彼はそれを耳にするときゅっ、と下唇を噛んだ。
「……あの……それと……」
ぽつん、と彼女がややためらいがちに言葉を付け加えた。
「この前に言ってた事も……お願いできますか?」
「え?」
彼のブラシの手が止まる。そして、肩越しにちらりと彼女を見た。
「このブーツの……お手入れも……お願いしたいのですが……あの、その……」
肩越しに見る彼女は頬をほのかに赤らめ、視線を自分の足下に落としていた。
そこには彼女の膝下からつま先までぴったりと包み込む黒革のジョッキーブーツがあった。
僅かに白っぽく泥に汚れてはいるが、ほの明るい灯りの下でぼんやりと光を蓄えて艶と光沢を湛えながら彼女の脚を包み込んでいた。
それは清楚な彼女にどこまでも深みがある妖艶さを与え、彼の脳髄を振るわせるに充分な美しさを醸しだしていた。
彼女はもじもじしながら続ける。
「……私がお手入れのクリームを使ってお手入れするよりも……その……あなたの……あれが一番いいみたいですから……えっと……む、無理でしたら……」
「いいですよ」
これ以上言いたい事を上手く言い出せない、当惑する彼女は見たくない。
彼は再び視線を切り、馬の背に視線を合わせると彼女の言葉を遮るように言った。
「……むしろこちらからお嬢様にお願いしたいくらいです。お嬢様のブーツを毎日、誰よりもお手入れ……して……お嬢様を忘れないように……」
彼の言葉が徐々に弱まり、その代わりにその手が動き出してがしがしとブラシが馬の背中を擦る音が大きくなった。
「……ありがとうございます……」
見る事はできないが、彼女はそういいながら深く頭を下げたのだろう。
馬糞や藁の有機臭の合間から恐らく彼女の髪からだろう、心地の良いシャンプーの香りが彼の鼻腔をくすぐった。
「はあ……はあ……」
彼はズボンの前を開き、怒張しきった彼自身をむき出した。
赤黒く、堅く、そりたったそれは先端から透明で粘り気のあるよだれを垂らしている。
「お嬢様……」
彼は根元を持ち、主のないジョッキーブーツにその先端を合わせるとつーっと這わせた。
ぬるっとしたそのよだれは黒革のジョッキーブーツに足跡の様な軌跡を描き、艶をさらに与えた。
「……はあ……はあ……」
彼の息が深く、熱くなる。
そして、彼の脳裏に様々な彼女が浮かぶ。
ジョッキーブーツを履いて馬に跨る彼女。
ジョッキーブーツを履いてくすっと口元に手をやって笑う彼女。
ジョッキーブーツを履いて雨に濡れる彼女。
ジョッキーブーツを履いたまま藁の上に押し倒される彼女。
「はあ……」
ゆっくりと彼は彼自身をしごきだす。
先端からは止め処なくよだれがこぼれ、ぐちゅぐちゅと淫らな咀嚼の音を立てた。
「……お嬢様……」
彼はジョッキーブーツをぎゅっと抱いた。さらに、彼の脳裏に彼女が浮かんできた。
彼女に履かれ、彼女の脚を包み込んでいるジョッキーブーツ。
歩く度に、鐙を踏む度に足首に無数の皺を寄らせるジョッキーブーツ。
彼女の脹脛からぴたっと吸い付き、泥や衝撃から守るジョッキーブーツ。
乗馬を終えて泥やほこりに塗れて汚れるジョッキーブーツ。
彼女に履かれ、その脚を守る為だけに生まれてきたジョッキーブーツ。
主がないジョッキーブーツだが、本当はそうではない。
このジョッキーブーツが主その者。そして、このジョッキーブーツが彼女その物だった。
「はあ……お嬢様……俺は……お嬢様……」
彼のしごく右手が早くなり、ジョッキーブーツを持つ左手に力が篭って行く。
吐き出す息の熱さと同じように彼自身も熱を帯び、握る右手にかあっとした熱さを感じさせていた。
「……くう……あっ……お嬢様……」
彼の喉奥からうわ言のような言葉がこぼれる。
しごく手はさらに早まり、彼自身の先端から溢れる涎が細かく白い、馬の汗のような物に変わって行った。
薄く光を湛えるジョッキーブーツの黒革にその液が付着し、さらに艶を深めさせて行く。
まるで、快楽に身を委ね、汗をかいている事も忘れて蠢くベッドの上の女のように。
「はあ……お嬢様っ……ああ……!」
彼が天を仰ぐ。
低く薄暗い天上。しかし、彼にはそう見えない。
その手には彼自身の熱と熱を帯びたジョッキーブーツの本革。今やその革の感触はなめし革のそれではない。温もりを持ち、確かな手触りを持つ肌となっている。
その肌の温もりは、このジョッキーブーツの物であり、そして、彼の脳裏に浮かぶあの姿の物――。
「あっ……もう……うっ……」
どくん。
彼自身の奥で大きく脈打ちだしてくる。
しごく動きはさらに早まり、先端からこぼれる淫音も高まる。
ジョッキーブーツはそこから滴る涎に濡れ、ゆさゆさと堅い底を揺らしながら彼自身を受け止めていた。
そして、奥底の脈が込みあがった次の瞬間。
「あっ! あああっ……」
ぶしゃっ、と勢いよく先端から粘着質の白濁液が噴出し、ジョッキーブーツに次々と降りかけられていった。
「あ……はあ……はあ……はあ……」
そっ、と手の中のジョッキーブーツを見下ろす。
深い漆黒のジョッキーブーツ。
そこに無数の白濁液が飛び散り、革の皺に沿ってどろっと垂れ落ち、漆黒に行く筋もの軌跡を描いていた。
「……はあ……お嬢……さま……」
彼は喉の奥がから深く熱い息を一つ、吐くとジョッキーブーツに飛び散った白濁液に指を落とし、つーっとそれを黒革の上に伸ばしていった。
「ふう……寒い……」
仕事を終えた彼が馬小屋から屋敷のそばにある家に戻った。家と言ってもそれほど立派な物ではなく、平屋の一部屋。小屋と行った方が似つかわしい作りの建物だった。
「おう、お疲れ。当たれや当たれ」
部屋には彼の父親がストーブに当たっていた。彼は父親に向かい合うように座ると手をかざした。
「今日は冷えるなあ……」
「なあ……馬や馬具はいつでも使えるように手入れしてっか?」
ちっ、と一つ舌打ちをして父親が訊く。
その質問に彼は一瞬、どきっとした。しかし、その心の揺らぎを消そうとするように不機嫌そうに唇を尖らせた。
「なんだよ……手を抜いているって言うのかよ」
「いやあ……いつでも出せっかなと思ってな……しかし、万が一となりゃあなあ」
「?」
彼は唇を尖らせたまま、目を点にした。
父親は彼をちらりと見ると深い息を一つ吐いた。
「さっき、連絡があってな」
「なんの?」
「今度、来るそうだ」
「誰が?」
まさか。
無関心を装って抑揚を抑えた調子で訊くと、父親はもう一つ深い溜息をついて言葉を紡いだ。
「お嬢様だ」
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