僕のロングブーツ
「ありがとうございます」
ファッションビルの一角にあるシューズショップ。クーラーの効いた店内から一人の女性がショップの紙袋を持って出てきた。
店を後にする女性の後ろでは男性の店長が笑顔のままで深々と頭を下げている。
「ふえ〜……またあんなに高いサンダル売っちゃった……」
さらに離れた彼の後ろ。レジの向こう側でバイトの若い女の子が目を丸くして頭を下げる彼を見ていた。そしてくりん、と隣を見た。
「ねえねえ先輩。店長ってすっごいですよね〜。どんなに高くても薦めるものをぜーんぶ売っちゃうんだから!」
自分の事でもないのにはしゃぎ気味のバイトの女の子。すると声をかけられた先輩の女性はふっと笑った。
「……そっか。あんた今年の春にここに来たんだっけね」
「え? そうですけど?」
女の子がきょとんとする。先輩はふふっと小さく笑って一度店長に視線を流すとそっと顔を彼女へ寄せた。
「店長が一番すごいのは秋冬。ブーツのシーズンになったらすごいんだから」
「そんなにですか?」
「そ。あたしはオープンからここにいてずっと店長と一緒だけど、ブーツを売れ残した事ないもん。サンダルとかミュールは少し売れ残すけど、ブーツだけは絶対売ってしまうんだから」
「え〜じゃあお店の在庫を空っぽに?」
「おかげで春物の陳列は楽よ〜」
くくっと先輩が笑う。女の子は口をカモノハシの唇みたいに曲げてうーんと考えた。
「どうして店長はそんなによく売るんでしょ? 何か秘密があるんですか?」
「さあね。本人に聞いたら?」
そう言うと同時。店長がほっとした顔でレジにやって来た。
「これで今日の目標は行ったかな?」
「店長〜! 教えて!」
レジのパソコンを操作してお店の日計を見ようとした店長に人懐っこく女の子が寄ってきた。
「え、何を?」
「店長ってどうやったらそんなにたくさん売れるんですか〜?」
「えー……」
店長が苦笑い気味の笑みを見せて頭を軽く掻いた。
「どうやってってねえ……そんな特別なことはしてないけど」
「なんですか? 私にもできます?」
興味津々な眼差しで女の子が店長を見上げる。彼は笑みを見せたままで軽く考えた。
「できると思うよ」
「教えてください〜! 私もいっぱい売りたい!」
「そうかあ……」
店長の笑みが苦笑い気味からやや楽しみを感じているような物に変わる。店長は一つ頷くと女の子の顔を見た。
「まずは商品を好きになること。好きな物だったらいくらでもいいように薦められるだろ? それとお客をよく見る。でも、お客の好きそうな物じゃなくてお客に合いそうな物を薦める……でもね、それよりももっと大切なことがある」
「うんうん、何ですか?」
ずいと女の子が身を乗り出す。彼は少し女の子に距離を置くように体をのけぞった。
「商品を売るんじゃなくて自分を売るって考える」
「え?」
女の子はきょとんとした。店長はくすっと笑うとレジのすぐそばにあるサンダルを手にした。
「たとえばこのサンダルを同じお客に僕と君がそれぞれ薦めたとして。君が薦めて売れたとしても必ずしも僕が薦めて売れるとは限らない」
「そうなんですか?」
「そう。お客が君を気に入ったらどんな物でも買ってくれるだろうし、僕をけったクソ悪く感じたらどんな物でも買おうとはしない。商品も重要だけど最後は売る人をいかに買う人へ売り込むかなんだ」
「ふ〜ん……」
四分の一程度に理解したような顔つきで女の子が頷く。
「じゃあさ、店長」
会話が切れた隙に先輩の女性が話に入ってきた。
「ブーツもサンダルも同じ靴で売ってる人は店長って同じ。なのになんでブーツとサンダルで差が出るの? サンダルやパンプスも秋冬のブーツくらい売ってもいいんじゃない?」
女性がずけずけと言う。店長はははっと軽く笑うと手にしていたサンダルを置いた。
「ブーツとサンダルは違うよ。なんだろうなあ……僕にはブーツが売りやすいって事かな」
くくっと店長が笑う。女性は納得行ってなさげな顔で店長を見る。
「ブーツの方が売りにくいと思うけど……入るかどうかとかデザインとかうるさそうだし」
「そうだねえ」
小さく笑ったままで店長はずらりとサンダルが並ぶ棚を見た。
「ブーツは確かにぴたっと来る物を見つけるのは難しいし、色も素材もデザインももの凄くある。でもね、だからこそ売る僕も思い入れを持ちやすいし、自分を込めやすい。売れるのはそのせいかな」
「へえ……」
女性も四分の一ほど理解したと言いたげな表情を見せて頷いた。
そんな四分の一コンビの視線を受けながら彼はふむと一つ息をつき、棚を見ながら目を細めた。
「ブーツを売る時は商品を売ると言うよりも僕を売るって感じがより強いな……僕自身を……ね」
去年の秋。
「お疲れ様です……店長今日残り?」
「ああ。この書類を出さないといけないし。お疲れ様」
店長がにっこりと笑って店員の女性を事務所から送り出した。裏のドアが閉まり、遠のく足音。
「……ふう」
店長はため息を一つついてペンを置いた。そして耳を澄まして足音の消えたことを確認するとドアの鍵を中からかけて売り場に出た。
「…………」
ちっ、と売り場の蛍光灯のスイッチを入れる。ぼうっと店内の一角だけが輝いた。
そこは夏にサンダルがずらっと並んでいた棚の場所。しかし、秋の今はロングブーツがずらっと並んでいる。黒、ブラウン、キャメル、白と色とりどり、本革、合皮、スエードと素材も、美脚、ジョッキー、くしゅくしゅ、ウェスタンと種類も様々。
彼はゆっくりと棚の間を歩き、その真ん中で立ち止まった。
左右をロングーブーツが並び、鼻をつん、と革の匂いが突く。
「……はあ」
一つ静かに深呼吸。革の匂いを鼻に満たし、ため息のような息を大きく吐いた。静かだった胸の鼓動が高まり出す。
右手を見る。物言わずに脚ではなく紙や風船のようなキーパーでその優美な形を保っているロングブーツが並んでいる。
その中の一足。濃いブラウンの美脚ロングブーツ。足首に細めのベルトが付き、つんとしたポインテッドトゥのつま先にピンヒール。合皮特有のはっきりした光の反射が美しい。
そうっと甲を触ってみる。合皮のさらりとした手触りに胸の高まりが増す。顔を寄せて匂いを嗅げば真新しい化学的な香り。
「はあ……」
一つ溜息。手が甲から脹脛へ。主なきロングブーツの脹脛は空しいほどに手触りがない。
彼は目を閉じて掌でゆっくりと脹脛を撫でる。そう、今日の営業中にこれのサイズ違いをお客に薦めた。
「大丈夫ですよ。履き方がありますから」
脚が太いから、と尻込みするように言うお客にその履き方を教えながらロングブーツを履かせた。もちろん、無理やりにではなくちゃんと入る範囲内のブーツを。
ジッパーを下ろし、足を入れゆっくりと革で足をラッピングするようにブーツを寄せてジッパーをゆっくり上げていく。
じじ……店内のBGM以上に心地のよいそんなジッパーが上がる音を聞き、ぱんと革を張らせながらその脚にロングブーツをまとわせて行く。
ジッパーがくるぶしを越え、足首を越え、ゆっくりと脹脛へ。革を彼女の脹脛にまといつかせながらジッパーを上げていく。彼の手に彼女の肉感とロングブーツの革の質感が伝わり、ブーツの革が温まっていくように感じられた。
ゆっくりと脹脛の太い部分を越えて行くジッパー。ゆっくりとだが確実に上がって行き脹脛の真中を越えて下りのラインになった所で終点となった。
「はい、できました。とても綺麗ですよ」
自然と出たその言葉。営業トークでも世辞でもない。
彼の目の前にはぱん、と革が張り、ぴたっとその足に張りついたロングブーツに包まれた右足があった。
これ以上に綺麗な物はない。
彼はそう思った。
「んく……」
こくん、と唾を飲みこむ。胸の鼓動はさらに高まり、ズボンの下の下半身が脈打つように疼きだした。
ロングブーツのあの手触り。脚が入って命が吹き込まれたかのような肉感に質感。足首や脛に走る皺の反射。それらを思い出すだけでも彼を煽る何かが湧き起きてくる。
「…………」
胸の高まり、下半身の昂ぶり。彼はズボンのジッパーを下ろしていた。そして開いた窓からぶるん、とよだれを垂らしていきり立つ彼自身を解放させた。
「…………はあ」
大きく息を吐く。彼はぬらぬらと輝く彼自身の先端をブラウンのロングブーツに向け、そのつま先につん、と挨拶するように付けた。つっ、と濃く粘着質で透明な液体が糸を引いてロングブーツと彼を繋ぐ。
彼は彼自身の根本を掴み、つま先から脛の部分に動かしてそれを押しつけた。
べちゃっとスタンプを押すようにブラウンの革に彼自身がくっつき、その涎が革に乗る。それで滑るようにずずっと彼自身の頭を脛のラインに沿って降ろす。彼自身の奇蹟が涎で蛍光灯に煌めき、ベルトぐらいにしか特徴のないブーツに新たな模様が加わったようだった。
「はあ……はふん……」
息が荒くなる。脛から手応えのない脹脛へ彼自身が動く。彼自身の軌跡が小川のようにロングブーツの革の上を流れた。
手応えのない脹脛。彼は昼間にロングブーツを勧めた時の感触を思い出しながら剥き出しとなっている彼自身の頭を革で包み込んだ。
「ああ……はあ……」
彼自身の涎でロングブーツの脹脛はぬるぬるに濡れ、心地よく彼自身にまとわりつく。
「……ああ……くう……はあ……」
きゅっと下唇を噛んだその時、彼はロングブーツから手を離した。
こつん、と踵が床に当たる音が響き、力無く床にロングブーツが崩れた。
そして、とろんとした目をお店の片隅にある棚を向けた。
そこはこの秋冬の新作や高額な商品の並ぶ棚。彼は剥き出しの彼自身を出したままでそこにふらふらっと歩み寄った。
「ああ……」
その棚の前に立つと一番目立つ所に陳列してある黒革のロングブーツを手にした。
ヒールは低めで緩やかに尖ったスクエアトゥ。未だに主がなく皺も刻まれていないまっさらな黒革。それが薄っすらと輝く蛍光灯の光を吸収し、ぼんやりとした本革独特の光沢を見せていた。
「…………」
彼はすうっと革を舐めるようにロングブーツの肌に指を滑らせる。ひやっとした肌触りにややひっかかりがあるが滑らかな手触り。そして、むせ返るほどの革の香り。
「はあ……」
彼は大きく息をついてロングブーツに顔を寄せる。本革独特の固くなめした感じの肌触りが頬を伝わる。
「……ロングブーツ……」
ちゅっと特に固く作られた甲に口づけ。彼のキスマークがうっすらと甲に写った。とろんとした眼差しでそれを見つめ、ちろっと舌先で舐める。口づけで生じた温もりが舌先を通じて彼に伝わる。そして、さらに強い革の香り。
「ああ……」
彼は我慢できないと言いたげにすっかりいきり立つ彼自身の根本を右手で握り、左手に持つロングブーツに向けた。彼自身はすっかり熱く滾る鉄棒のように硬く、そして赤く紅潮し、涎を垂らしている。彼はそれをロングブーツの脹脛に押し当てた。
べちゃっと彼自身の涎が黒革にまとわりつき、その部分だけ色を濃くし、艶を際だたせた。
「んふっ……」
ずずっと彼自身を革の上に滑らせる。涎が太線の軌跡を描いてロングブーツに淫らなシュプールを描く。彼自身の先端は冷たいはずのロングブーツの黒革から紅潮したような温もりが伝わってくる。
根本を握る彼の右手がゆっくり動き出す。ゆっくりと前後に扱き始めた。
「っは……はあ……あふっあふ……」
それに刺激されるように先端からは止めどなく涎が垂れ、ぐちゅぬちゅと淫らな鳴き声がその先端からこぼれる。どんどんあふれるそれは黒革のロングブーツを濡らし、優美で気高いその姿はどんどんと男に汚された姿へと変わっていく。
「はあはあはあ……」
男どころか持ち主の女の温もりすら知らないまっさらなロングブーツが男に汚され、犯されていく−−。
そんなロングブーツを見ると彼の欲情はさらに煽られ、扱く手も早まっていく。
彼自身の先端の涎が泡立ち、それかぽたぽたとロングブーツの黒革に落ち、溜まりや流れを作ってシンプルなデザインの黒革のロングブーツにデコレートしていった。
「はっはっはっはっ……」
彼の息遣いが荒くなる。それと共に右手の動きも早まり、彼自身の鳴き声も高まる。
ロングブーツを掴む手はうっすらと汗ばみ、しっとりと黒革を濡らす。
人間を知らぬ黒革の高級なロングブーツが彼の唾と汗と彼自身の涎によってさらに汚されていった。
「あうっ……ああ……あっ……」
彼は夢中になって彼自身を扱いた。夢中で扱いた。
女性を抱く時以上に興奮し、欲情していた。
手の中の汚れを知らぬ相手を犯そう、汚そう、壊そうと破壊願望にも近い、野生の性欲を剥き出しにしていた。
彼の頭の中は真っ白。女性の脚にロングブーツをエスコートする紳士的な店員の姿は、ない。
「あっあっああっ……くぅ……い……く……ああ……」
喉奥から声が漏れる。その調子が変わったと同時、下半身から限界の信号が発せられてきた。
下腹部の奥底からどんどんと充填され、今にも弾け飛ばんばかりになっていると感じられる。
薄っすらと目を開ける。
視界には彼によってもうぐちゃぐちゃに汚されている黒革のロングブーツ。
そして、周りには芳醇な香りを漂わせ、穢れも何も知らずにつんと立って並ぶ数々のロングブーツ。
「いく……ああっ! ロ、ロング……ブーツ……ああ!」
ロングブーツの名を呟いたと同時。彼自身の先端から白く濁り、粘り気と温もりのある体液が吹き飛んだ。
それは手もとのロングブーツに白いデコレートを施し、棚に並ぶロングブーツにもいくらか飛び散った。
「はあはあはあはあはあ……」
彼は荒い息のままで手をロングブーツから離した。
汗と唾と涎と体液で汚され、彼の体温で温もったロングブーツがこつん、と踵の落ちる音と共に床に崩れ落ちた。
「ああ……あ……」
すると彼も果てたようにがくっと膝を突いてロングブーツの並ぶ棚に寄りかかって座り込んだ。
視界には彼と共に果てた黒革のロングブーツがある。背後も左右もロングブーツ。
むせ返るほどの彼自身の匂いとロングブーツの革の香り。
「……大切にしてくれる人に売ってあげるからな……」
とろんと恍惚の中に沈んだような目を見せながら彼はロングブーツにそう呟くのだった。
「て〜んちょ〜。メール便ですよ」
バイトの女の子の声にはたと我に返った。
視線の先にはサンダルの並ぶ棚。彼はくすっと一つ笑うとそこから視線を外して女の子を見た。
「ああ、ありがとう……っと、これは」
A4サイズの入る大きな封筒を受け取ると急くようにその口を破り開いた。
「……秋冬コレクションのカタログか……やっと来たか」
「あ〜! ここってかわいいブーツ一杯あるんですよね!」
無邪気に女の子が笑う。彼もつられるように軽く笑いながらカタログのページを開いた。
上等な革のロングブーツやスェードのロングブーツ、合皮のロングブーツ。様々なロングブーツの写真が並んでいる。
「これいいなあ〜。先輩は?」
「ここはあたしにはちょっときゃぴきゃぴしすぎてるかな……」
女の子2人は賑やかにきゃいきゃいと早くも品定めを始めていた。
「……あ、店長」
そんな中でふと、先輩店員の方が隣でじっとカタログを見つめる店長を見た。
「今年はどう? 売れそう?」
「え? あ、うーん」
店長は口元に笑みを浮かべて軽く考えるそぶりを見せた。そしてにこっと、いつもの営業スマイルと違う、いかにも楽しそうな笑みを一つ、彼女に向けて続けた。
「どれもいいと思うよ……どれも僕を込めて売るには、ね」
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