隣のロングブーツ
築20年以上の古い鉄筋のアパート。
大学に進学してここに居を構えて初めての冬を迎えた。
ここはいわゆる学生アパートと言うヤツではなく、普通のアパート。
そのせいか色んな人が住んでいる。年中寂しそうで生え際の後退が著しい独り身の男。片言の日本語を操り、換気扇から訳のわからない匂いを流すフィリピーナの女。妙に流暢な日本語を操る黒人の男、日の出ている間は外でぼーっとし、日が暮れると家に引っ込む、鳩時計の鳩のような婆さん。
そんな色んな住人のいるアパートなのだが、隣人だけはどんな人かわからなかった。
引越しの挨拶をせず、暮らしだしてからも隣から音や声が漏れてくる事がなく、どんな人が住んでいるか手がかりすらなかった。空き部屋かと思っていた時期もあった。
しかし、ある夏の日の事。隣人と廊下で出くわした。
隣の部屋から出てきたその人はすらっとした若い女性。歳は同い年か若干高めと言う所。髪は明るい栗毛にくりっとした丸い目、丁寧に化粧で手入れされた肌。少し派手目な印象を与える。
ふと、自分の存在を見つけた彼女は軽く笑顔で挨拶をしたそして、すっとすれ違った瞬間、ほわんと香水の香りが鼻をくすぐった。
隣人が若い女性とわかったが、胸の高まりや恋への期待などが生まれる事はなかった。
隣人が女性でも普通の事。男か女か2分の1の抽選でたまたま当たっただけ。その程度にしか思っていなかった。
しかし、夏の終わりのある日。それは不意に起きた。
夜通しのバイトが終わり、雀しか鳴かない朝方。アパートに帰って集合ポストに立ったその時、篭った独特のヒールの音に気付いた。
音の方を見ると隣人の女性が少し疲れた顔でアパートに帰ってきていた。ポストの前の存在に気付くと反射的に笑みを見せ、「あ、おはようございます」と慣れた調子で挨拶をしてきた。
この慣れた挨拶に慣れた笑顔。そしてオール明けと言うのに髪型や服装全く乱れていない。
ああ、夜に働く女性なんだ。
しかし、そんな事ががわかっても別にどうも思わない。
それよりも――。
こくん、と唾を飲み込んだと同時、ポストの中の朝刊とピンクチラシをわざと彼女の足元に落した。
彼女はあっと短い声を上げてそれを拾おうとしたがそれを制し、屈んでピンクチラシと朝刊を拾い始めた。そして、それと同時に視線を真横に流した。
そこにはつん、と尖ったつま先の黒いロングブーツがあった。
彼女が夜の女性である事は幸福と言えた。
仕事柄、彼女はファッションには相当に気をつけ、気合を入れているのだろう。通常の街よりも幾分早めにファッションを更新しているようだった。
今、残暑が厳しい時期であるにも関わらず若干秋を意識したファッションを彼女は身に纏っていた。
その脚には黒革の美脚ブーツ。
つん、と尖ったつま先にすうっと地面に垂直に立つピンヒール。ぴたっとその脹脛や脛、足首に踵、甲を黒い革で包み込むロングブーツ。
蛍光灯の明かりの下で怪しげに艶っぽく輝き、 その存在を誇示していた。
田舎では真冬でないとお目にかかれないロングブーツがこの時期に。
しかもちょっと手を伸ばせば届き、顔を寄せれば革の匂いを嗅ぎ、頬ずりし、舐める事もできそうなほど近い所にある。
朝、仕事明けで疲れきっているにもかかわらず、かがんだズボンの下ではぐっと痛いほどに自分自身が固く大きくなっている。
もたもたとチラシを拾いながらさらにブーツを見る。
皺の寄る足首、複雑に走る皺が革を輝かせてより一層淫靡な雰囲気を醸し出している。飾りの少ないそのブーツ。だからこそ脚にぴたりと吸い付き、ストレートに優美なラインを浮き出させ、むちっとした肉感さえも視覚に訴えさせていた。
触りたい! 舐めたい!
理性の限界。そう思ってぴくっと足の筋肉が反応しかけた。しかし、僅かに彼女の脚が半歩、こつっと音を一つ鳴らして後退した。
その瞬間、はたと脚の筋肉が止まりすうっとその場に立ち上がる行動へと動きを変えた。
新聞とチラシを全て拾い、勝手に浮かんだ笑みを彼女に向けると挨拶もそこそこになぜだか慌てて階段を駆け上がって自分の部屋に転がり込んだ。
頭の中にはロングブーツの革の質感、皺の寄る足首、白く光に輝く脹脛と彼女の履いたロングブーツの事だけが存在していた。
ドアの鍵を閉め、そのままトイレに行くと彼女のロングブーツの記憶を反芻させながらズボンからいきり立つ自分自身を開放させてそれを左手で掴むと、自慰を始めるのだった。
そしてある冬の日の夜。
銭湯や夕食の買物をしてアパートに帰った。階段を上がり、わさわさと買物袋を鳴らしながら自室に向かう。そして、自室のある階の廊下に出た、その時、
「大丈夫だって。盗るヤツなんかいないって!」
明るい女の声が廊下に響いた。階段のそばから廊下に出て、はっとした。
その廊下で隣人の女性が自分の靴を次々自室のドアの外に並べていたのだ。その中には彼女が仕事帰りに履くあの、黒革のロングブーツもあった。
「ああ、友達と飲み会するんだけど、玄関狭くて置けなくって」
思わず「靴をどうしたんですか」と聞くと軽い笑みを見せて彼女はそう答えた。そんな回答を聞いて適当に相槌を打つだけ。そして、軽く口元を緩めた。
彼女は適当に靴を外に出して並べると友人達が待つ部屋に入って行った。
ドアが閉まる。ばたん、と少しだけ重い断絶音が廊下に響いた。彼女はいなくなったがその場をすぐに離れ、自分の部屋に戻ろうとはしなかった。
視線の先にはロングブーツがある。
それをじっと見つめた。何も考えず。まるで、それは心に雁字搦めに絡まっている理性の縄が解けるのを待つかのようだった。
真っ白な時間。何をしたのか、何を思って何をしたのか、何も覚えていない瞬間や時間。何があったか覚えてはいない。しかし、何かを考えようとしなかった事だけは覚えている。
そんな時間から解き放たれ我に返ると自室に戻り、ベッドの上に座っていた。
心臓はこれ以上なく早く、強く脈打ち、鼻は乱れ、荒れた呼吸を繰り返していた。
その手には黒革のロングブーツが1足あった。
ロングブーツをベッドの上に置いてみる。
ピンヒールにも関わらず倒れる事なくそこに立った。しかし、脚の入っていないロングブーツ。真中辺りでへなっと折れ、への字のような状態になった。
しかし、それでも蛍光灯の光で艶っぽく輝く黒革の質感は変わらない。つんと尖ったつま先に少し汚れたピンヒールに踵。怪しく輝く黒革。見るしかなかったロングブーツが今、目の前ではなく手元に。
何でもできる。
そう思うと左のロングブーツを再び手にし、再度のジッパーを降ろした。ヂヂ、ヂヂヂヂっと少し高いジッパーの動く音。胸の高鳴りはさらに強まり、こくんと唾を飲み込んだ。ジッパーが一番下まで降りるとがぱっとブーツの筒が開いた。つい最近まで履いていたのか僅かな温もりと体臭がふん、と鼻をくすぐった。それは普段の香水の香りとは違う、人間臭い、動物臭さのある匂いだった。
開いたロングブーツにそっと顔を埋め、その靴底に舌の先をつけた。革の内側と違いつっとした冷たさと僅かな塩気が伝わる。荒い息のままでブーツの中を舐め、顔を埋める。徐々に自分の吐息で熱くなるブーツの中。靴底で舐められる所はすべて舐め、べとべとになっていった。
憧れのロングブーツ。その中を舐めて汚す。ブーツにもその行為にも全てで興奮が高まっていった。下半身の自分自身は正直にそれに反応していた。
ズボンを突き破らんばかりにいきり立ち、異常にその部分を膨れさせていた。
なんの躊躇もなく、それが普通の行為と言うようにズボンのジッパーを降ろした。
ぶるん、と反り立ったそれが先端をぬらぬら輝かせて顔を出した。
まだ何も手をつけていない右のロングブーツ。こくっと唾を一つ飲み込むとそれを自分の右腕に履かせた。丁度足首の部分に手首が納まり、肘まで黒革が覆う。細身の美脚ブーツはぴったりとまではいかないがそこそこに腕にフィットし、履きこなされた。
いよいよ本番だ。
腕に履かれたロングブーツの脹脛をぎんぎんに屹立する自分自身に付けさせた。ぴくっとそれが動き、先端から溢れる粘着質の液体が脹脛の革の色を変え、独特の輝きを与えた。左手でそれを持ち、縦に横にと脹脛にその先端を擦りつけた。まるでキャンパスの上を走る筆のように黒革に太い線を付けて行った。
黒革に先端の液体を全て擦りつけるとロングブーツをそこから離し、脛の部分を顔に近づけさせた。
革の独特の香り、動く事でついた皺。頬に寄せるとそれらの感触が心地よく、そのまま抱き締めて眠りたくなった。
すうっと革の匂いを一かぎ嗅ぐとぺろっと革を舐めた。じわり、と苦くもなくしょっぱくもない、感じた事のない味が舌から口に走る。革の匂い、感触、味、そして艶――。
夢中にさせるそれらの要素。自然と左手で屹立した自分自身を扱き始めた。
息が乱れ、舌の動きも早くなるにつれて左手の扱く動きも早まる。利き手とは逆の左手。その扱く動きはぎこちないがそのお陰で他人に扱かれているような感覚を覚えた。
唾を飲み込み、荒い鼻息を浴びせ、黒革のロングブーツを暖めていく。いつしか、冷たい革が人肌のような温もりを持ち始めた。
脚の代わりに中にある右腕。それがもたらす肉感。本物の脚を触って頬ずりし、舐めているような錯覚を覚えた。
本物のロングブーツ。見るしかなかったロングブーツ。想像と記憶の果実でしかなかったロングブーツを舐め、触っている。
ますます興奮は高まっていき、扱く左手の動きもさらに早く強くなっていった。いつしかその先端が再び濡れ始め、ちゅとかくちゅと言った淫靡な音まで立ち始めた。
ロングブーツを堪能しながらの自慰。
たまらなく気持ちよかった。もしかすると本物のSEXよりも気持ちがいいのかもしれない。そんな事を感じながら激しく自慰を続けた。
そして、もうその時は近付いていた。
体の奥底から突き上げてくるような感覚。それを覚えたその時、ブーツを右腕から引き抜き、自分自身の先端の照準をそこへ合わせた。
その瞬間、先端から夥しい白濁液が噴出した。ロングブーツの甲や脛に飛び散り、その中へも撒かれた。
一度出てもどくん、どくんと次々湧き出し、その長く優美なラインの美脚ブーツを白く汚していった。
白濁液の噴出が一段落ついた。そこには白濁液をかけられ、幾筋ものの白濁のラインと溜まりができた。美しい黒革のロングブーツが白濁液によって犯され、白く汚された。
その姿はとても美しく、ベルトやリボンのようなどんな装飾よりも美しく飾り立てられた作品のように見えた。
徐々に整っていく息の中で恍惚とそれを見つめる自分。その胸の中は風穴が開けられたようにすうっと爽やかで軽い感覚を覚えた。
同時に、そんな感覚と満足感、そして快感。顔が自然に緩んでいる事にも気付いた。
それからロングブーツをティッシュで拭った。しかし、これはふき取ると言うよりも塗りたくる、より白濁液染み込ませようと擦るような作業だった。右のロングブーツはつま先から踵、脛に脹脛、さらに中まで白濁液を塗りたてられた。
それによってブーツの輝きがましたようにも見えた。
そのロングブーツを持ってそっと部屋のドアを開ける。隣人の宴はまだ続いているらしく、靴が外に出されて並んだままになっている。その1足分の隙間にそっとロングブーツを戻した。
それからは別に何も変わりはない。
ロングブーツを黙って持ち出され自慰のネタにされた上に白濁液でぐちゃぐちゃに犯された事には全く隣人の女性は気づいていないようだった。
彼女が気付いてない事はいつも繰り返される生活が現してくれた。
夜通しのバイトが終わり、雀しか鳴かない朝方。アパートに帰って集合ポストに立ち、彼女の存在に気付く、篭った独特のロングブーツのヒールの音が聞こえるその時に。
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