バックヤード 〜才能に恋して〜
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「本当にもー、あたしったら幸せっ!」
翌日。佳苗がでれでれと表情筋を全部緩めているような、笑みを見せながら喋っていた。
「あたしの好きな所とか感じる所とかを一所懸命探してくれてあたしを気持ちよくさせようとするのよ〜、もう可愛いっ!」
「……へー」
佳苗の隣には愛美。愛美は頬杖を突きながら右の耳で佳苗ののろけを聞いていた。
彼に会って寝た翌日は大体こうなる。
聞く愛美の方は完全に慣れた調子でそれを聞き、佳苗の機嫌を損ねない程度に頷いていた。
佳苗はでれでれしたままでさらに続ける。
「それだけじゃないのよ〜。一所懸命するんだけどちょーっと足りないのよねえ〜いや、早漏ってのじゃないのよ。ほんのちょっとだけ、足りないのよねー、あたし的に」
「それくらいでいいんじゃないの? 高望みはいい事ないんじゃない?」
「かもね〜。あれ位がいい? そうかも〜、あ、でもあたしが足りなさそうにしてると『ごめん』謝ってくるから悪いような気もするな〜」
少しだけうーん、と悩ましげな顔。しかし、目元は緩みっぱなし。
愛美が頬杖をついたままそんな情けない佳苗の横顔に視線を流した。
「でも、そんな謝ってくる彼氏が」
「すっごい可愛いのよ〜! もう、食べちゃいたいくらいにっ!」
「もう散々食べてるくせに……」
のろけに付き合う事に慣れている愛美だがここで一つ深い溜息。胸焼けを感じたような熱く固まった息を吐いた。
「……ねえ、佳苗」
「え?」
「仕事」
ちらり、と愛美が視線を佳苗から正面に流す。
佳苗もはっ、と顔を僅かに引き締めて前を見た。
2人の眼前にはいつもの街の風景。買い物客が視界を横切り、バスや乗用車が走りまわり、バイクや自転車が止まっている自動車の脇をすり抜けていく、毎日の繁華街の姿があった。
「……別に何もないじゃん」
「今はね。でも何が起きるかわかんないんだし、のろけはそんなもんにしたら? それに」
横切っていた買い物客がふと、途絶え、程なくして眼前の信号が青に切り替わった。
「飲酒、わき見、携帯、のろけは危険運転の種よ」
「……のろけで上げられた運転手なんていたっけ?」
「佳苗が第一号になりそうな気がするわ」
ははっと愛美が軽く笑う。佳苗は少々釈然としないような顔でゆっくりとハンドルを左に切りながら静かにアクセルを踏んだ。
「これくらいじゃあ上げられないって。まだ全然、望の可愛い所とか伝えきってないし。まだまだいーっぱい可愛い所あるのよ〜、望って」
「聞いてもいいけど、私に対する公務執行妨害で警察署にお泊りさせて彼に会わせなくしちゃうぞ」
そう言いながら愛美はそっと腰に手を回してホルダーから手錠を外す仕草を見せた。
「あ〜、ごめんごめん。それだけは許して〜!」
くすっと佳苗が制帽の下の顔を綻ばせた。のろけを垂れ流していた笑顔に比べると全く健康的な笑顔だった。
仕事中の婦人警官、佳苗に戻ったかな?
愛美はそんな彼女の笑顔を見てくすっと笑った。
「佳苗、とことんハマってるね……」
「うん……でも、望もあたしを好きだって思ってくれてるし〜」
「泥沼ね、これって」
「そう! 沈んでて気持ちよーくなる深くて暖かい沼。もう、沈んで死んじゃってもいい!」
そこまで言い切るほどに佳苗をハマらせる望と言う男も大した者だ。
愛美は笑みを見せたままで軽い溜息をついた。
「羨ましいわ、ホント」
「でしょでしょ? 愛美も早く男見つけちゃいなよ!」
「オタクの祭りに参加しろって?」
「来るなら案内するけど〜?」
「遠慮しとく」
くすくすっと2人が声を合わせて笑う。
「……あ、そうだ」
ひとしきり笑うと佳苗が何かを思い出したのか、笑いを止めてちらりと愛美に視線を向けた。
「愛美、今夜空いてる?」
「何? 男でも紹介してくれるの?」
「違うよぉ。2人で飲みに行かない? 駅前にいい感じのお店、できたんだ」
佳苗のお誘いに愛美が軽い不審を感じた。
「別にいいけど……いいの? 彼」
「今日は夜通しのバイト」
「そっか。じゃ……」
愛美が了解の頷きを見せようとした、その時、2人が乗るパトカーの100mほど先、細い路地から二人乗りの自転車が車道に現れた。
瞬間的に愛美の目が鋭くなり、パトカーのマイクを手にした。
「注意してやらなきゃ」
「当然」
運転席の佳苗もパトランプのスイッチを反射的に入れてパトカーの速度を少しだけ、上げた。
「そこの2人乗り、自転車を止めなさい」
愛美の声に応えて自転車が止まる。
そんな自転車を見た愛美がふふっと笑った。
「素直ね……そんなキツく注意しなくてもいいかな」
「そうだといいけど……そうもさせてくれないんじゃない?」
佳苗は自転車のすぐ後ろにパトカーを止めさせた。見てみると彼女の目は鋭く、厳しい婦人警官の物に変わっていた。
さっきまでの情けないのろけ顔は微塵もその顔面にはない。
「どうしたの、その自転車」
さっと車を降りて開口一番、佳苗はそう言うと軽く小走りで2人乗りをしていた2人に近付いていった。
「鍵、壊れてるけど……なくしちゃった?」
寸分の隙もなく、感情的に許そうなどと言う弱い優しさなど芥子粒も見せずにまずは運転していた方と向き合い、事情を聞いていた。
やや厚ぼったい防刃チョッキをまとい、紺色のスラックスに紺色の活動服。腰周りに装備品を下げたその姿、凛とした面持ちはまさに婦人警官。と、言うよりもその辺の男性警察官よりも遥かに警察官らしい姿だった。
(佳苗って二重人格なんじゃないの?)
そんな事を思いながら愛美も自転車の登録番号を控え、後ろで立ち乗りをしていた方に話を始めていた。
「……ふーん、そう来るかあ……」
その日の夜、女子寮の佳苗の部屋。
仕事を終えて愛美と軽く飲み、シャワーを浴びた後の開放的なひと時。佳苗はノートパソコンの前に座って画面を凝視していた。
ディスプレイには望の書いたファンタジー物の小説。典型的なライトノベルで寝る前のちょっとした時間、軽く読むのに最適な作品だった。
さくさくと小説をスクロールさせ、その下端まで来ると彼女は思わず軽くまとめて息を吐いた。
(今回もいい出来ね〜……今度会ったら感想、言ってあげなきゃ)
小さく笑って時計を見る。まだ日付が変わってほんの少し経っただけ。
軽く酔い、シャワーでさっぱりした佳苗はまだこの心地良く開放的な時間を味わっていたい。
彼女は望のホームページから検索サイトに戻らせた。
(なんか面白い小説サイトでも探そうかなっと)
検索欄にポインターを合わせ、キーボードに指を向かわせる。
しかし、その指がすぐに動く事はなく、固まったように動きを止めた。
(……でも……いつもみたいに『創作小説』とか『オリジナル ファンタジー』じゃつまんないな……あ、そーだ)
佳苗は悪戯っぽく一つ笑い、キーボードを叩いた。
(女子高生とか教師とかは聞いた事あるけど、これってあるのかな〜……まあ、あってもロクな事書かれてないだろうけど)
変換。
「婦人警官 小説」
検索欄にそんな文字が浮かんだ。佳苗はそれを見て検索ボタンをクリックした。
「うわ〜、いっぱいあるんだ〜……」
そこにはずらりと並んだ検索結果。そんなにない、と思っていたが予想以上のヒット数に佳苗は軽く驚いた。
(えーっと、二次創作物に推理小説……でも……やっぱりこっちが多いんだ……へー……)
こっち。
それは婦人警官物の成人小説だった。タイトルからしてもう、それと分かる物や内容のレビューで分かる物と様々ある。
(あたしらの制服でも興奮する男っているのねえ……女子高生とか看護婦の方が色っぽいと思うけど。あんな地味なののどこが……まあ、憎さ余っての憂さ晴らしなんだろうけど)
いくつか開いて見てみると取り締まりへの逆襲で襲われる婦人警官の話や逆に婦人警官が弱い市民の男を嬲る話が多く、佳苗の思ったとおりと言える。
そんな作品を見ながら佳苗はふふん、と笑った。
(嫌われてるわね〜、本当。女に取り締まられるのって男に取り締まられるのに比べてムカつき度も上がるみたいね……あたしが注意している時もこんな事してやる、なーんて思ってるのかな?)
彼女はそう思うとふう、と一つ溜息をついてちらりと時計を見た。
(……明日は明番だから出るのは遅いけど……そろそろ寝ようかな)
そしてそう思うと検索サイトを閉じようとマウスを滑らせた。
「ん?」
しかし、その手が止まる。
検索結果の下の方に目が留まった。
なぜかは分からない。ただ、なんだか目が留まった。
佳苗は何気なく、そのページを開いた。
「…………」
サイトの作りは成人小説を掲載していると言った感じではなく、ごく普通のこじんまりした創作小説サイトの趣がある。
掲示板もなければ日記もない。小説のコーナーと感想メールへのリンクだけ。最低限、作品を発表するだけの場と言った感じがあった。
小説はどうやら短編が3編。タイトルだけを見るとどの小説が婦人警官物かはわからない。しかし、丁寧に「婦人警官物です」と説明が入っていた。
(……全部じゃん。だったらTOPで『ここは婦人警官物のサイトです』って宣言しちゃえば簡単なのに)
管理人の律儀さと言うか馬鹿正直さと言うか。
(ひょっとしたら、今後女子高生物とかをしようと思ってるのかな?)
佳苗は管理人の思いをそう想像しながらくすっと一つ笑うとその最初の小説をクリックした。
「…………」
小説を読み進めていく。
静かな描写の立ち上がり。それが成人小説だとは思えないような、静かで綺麗な文体。
佳苗は静かに、瞬きもせず読み進めていった。
「…………」
こくん。
佳苗の喉を唾が鳴らした。
徐々に1人の婦人警官に迫り来る黒い影。
危ない! 逃げて! 思わず心の中で叫ぶ。
「…………すごい……」
ぽつん、と思わず呟いた。
そこは婦人警官の陵辱シーンだった。
巡回中の婦人警官が古アパートに引きずり込まれ、抵抗しようにも数人の男達に押さえつけられる。
そして、手足を押さえつけられたままで仰向けにされて防刃チョッキを剥ぎ取られ、制服を肌蹴させられ、スラックスを……。
「……うわあ……」
読み進めていくに連れて佳苗の中で何かが蠢き出すのを感じた。
創作とは言え女性が、婦人警官がこんな風に複数の男に強姦され、陵辱される事、そんな事を望み、執筆している男がいる事への怒りや嫌悪感はではない。
純粋に小説にのめりこんでいたのだ。
そこに挿絵や画像はない。文章だけだがまるで自分の眼前で婦人警官が陵辱されているように感じていた。
古畳の上で背中や足が擦れる音、防刃チョッキを剥ぎ取る、マジックテープが外される音、腰の装備品が空しく揺れる音、男の下卑た笑い声、そして、婦人警官の警告する声、悲鳴、助けを求める声。
それらが全て聞こえてくるかのようだった。頭の中で、いや、耳の中で確かに響く真に迫った音声。
「……これって……」
さらに読み進める。ブラを剥ぎ取られ露になる乳房、スラックスを引き摺り下ろされる。裸にはされない。婦人警官の制服をまとったままで婦人警官自身が剥き出しにされていった。
女としてではなく婦人警官として男達に辱めを受ける。そして、もったいぶったように露になる秘所。そこへ男達が群がり、よってたかって挿入る……。
その時に響いた婦人警官の絶望的な悲鳴。その声はなぜか自分の物に聞こえた。
なぜかはわからないが、読み進めていくに連れてこの婦人警官が佳苗自身に見えてきたのだ。
「そんな……訳……でも……」
自分でレイプ願望などある訳ない。望との愛情豊かなセックスで充分に満足している。
それなのに、陵辱されている婦人警官が自分に思えて仕方がない。愛美にも、他の同僚の婦人警官には見えない、確実に自分自身が陵辱されているように見えた。
「なぜ……あたし……」
かあっ、と佳苗は自分の体温があがるのを感じた。
胸は早鐘のように打ち、深く、熱い息が鼻や口から零れる。
「……やだ……」
思わず左手を胸に当てる。寝巻きの上からでも触れば分かる乳房の頂上のしこり。つん、と硬く飛び出ているようだった。
それと同時に秘所が熱く、むず痒く感じ出した。
「はあ……」
佳苗は大きく息を吐いた。
スイッチが入っちゃった。
そう感じると目を閉じ、右手をゆっくりと寝巻きのズボンの中に入れようとした。その時、
「……わっ!」
突然、携帯電話が鳴り出した。
佳苗ははっとして右手をズボンから引っ込めると携帯電話に手を延ばした。
「もしもし〜……どうしたのよ〜……バイトは? 休憩中?」
電話は望からだった。
佳苗は電話で望と喋りながらなぜか伏せようとするようにディスプレイを半分ほど畳んだ。
そして、テーブルの下に転がるプリンタケーブルを手にするのだった。
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